「秋丸機関」が突きつけた数字の現実
1941年(昭和16年)11月、太平洋戦争開戦の5か月前。陸軍省戦争経済研究班――通称「秋丸機関」がまとめた二つの報告書『英米合作経済攻戦力調査』と『独逸合作経済攻戦力調査』は、日本の指導層に冷徹な数字を突きつけた。軍事力だけでは測れない「総力戦」の尺度で見たとき、日本が英米と対峙した場合の勝算は極めて薄い。その結論は、後の戦局を予言するかのようだった。
総力戦というパラダイムの転換
秋丸機関が1939年に設置された背景には、「総力戦」という概念の普及があった。軍事力のみならず、国家の経済力・技術力・労働力・資源をいかに戦争遂行に動員できるか。その総合的な国力比較こそが勝敗を分けるとの認識だ。例えば1941年時点で、戦艦や空母の数と質では日本が米国を上回っていた。しかし人口・原油生産量・鋼鉄生産量などを含めた国力では、日本は圧倒的に劣っていた。秋丸機関の役割は、各国の国力を分析し、国力で劣る日本がどうすれば総力戦に勝てるかを突き止めることにあった。
大英帝国の強みと「命綱」としての海上輸送力
報告書が分析した英国の特徴は、地球表面積の約4分の1を支配下に置き、インド洋および南太平洋沿岸に植民地が集中している点にある。この分散した植民地網が生む強みは六つ挙げられる。帝国全体を封鎖することは不可能、熱帯・亜熱帯の領有により食料・原料のほぼすべてを自給可能、一部が攻撃されても全体として致命傷になりにくい、などだ。ただしこれらは「海上輸送力の確保」と「属領の本国への協力」を条件としている。
弱点は明確だった。属領の完全な防衛は困難、距離が遠く輸送ルートが複雑、経済的利害関係が同一ではないため帝国全体としての意思統一は容易ではない。英国は本国で工業製品を生産し、属領で原料・食料を生産して交換する構造にあるが、これは本国の食料需給政策と矛盾する。つまり、何らかの方法で英国本土へ資源が入らぬようにすれば勝算がある――報告書はそう結論づけた。
米国という「自給自足の要塞」
一方、米国の地理的条件は極めて有利だ。広大な領土を持ち必要な資源のほぼすべてを国内で供給できる。南北は友好国、東西は海で隔てられ、長い海岸線には多数の海軍基地があるため海上封鎖は完全に不可能。仮に封鎖できても海外領土をあまり持たず資源輸入に頼らないため、打撃にはならない。
報告書の核心は、英米が合作すれば米国の供給余力で英国の不足を補い、想定規模の戦争遂行に対して到底敵わぬ最高戦力を有する点にある。さらに第三国に対しても4億ポンド・10億ドル余りの軍需物資供給余力を持つ。ただし、この最大供給力を発揮するまでに開戦後1年から1年半の期間を要する。英米の造船能力は1943年になっても年600万トンを超えないと見られたため、これを上回る隻数の船舶を撃沈し続ければ、保有船舶は減少しやがて戦争遂行が困難になる――これが報告書の導いた「英米の弱点」だった。
日本単独では埋められない大西洋の距離
では英国を降伏させるには何が必要か。報告書は基本的に英国本土上陸が最も有効としつつ、別の方法として本土沿岸工業地帯への空襲、潜水艦による海上封鎖、守りの薄い植民地占領による補給遮断を挙げる。いずれも焦点は船舶輸送力の減殺、特に英国に対するそれにある。
しかしこれを日本単独で実行することは不可能だった。日本軍がわざわざ大西洋まで赴いて海上封鎖を行い、本土空襲をすることはできない。せいぜい東洋の英国植民地制圧と、シンガポールや豪州を通るコロンボ航路の遮断ぐらいだ。それでも米国の輸送力で大西洋経路を使い十分に補われるだろう。そこで重要になるのがドイツとイタリアの存在だった。英国の命綱である大西洋航路で、独伊がどれほどの船舶を撃沈できるかにかかっていたのだ。
ドイツ経済攻戦力の「ピーク」とソ連依存
『独逸合作経済攻戦力調査』はドイツについて三つの重要な判定を下している。第一に、1941年いっぱいを最高点として1942年以降は次第に低下せざるを得ない。ナチス政権下で生産力は急拡大したが、現在の占領地だけでは十分な物資を供給できず攻戦力は落ちていく。第二に、今後大英米戦線に耐え得るにはソ連の生産力利用が絶対に必要だ。独ソ戦が短期決戦で終わり直ちにソ連資源が利用可能になるか、長期化して利用が遅れるかによって、ドイツの存亡も決まる。第三に、ドイツが不足する資源――労働力、食糧、そして何より石油――がソ連に豊富に存在する。ルーマニア産石油だけでは足りず、バクー油田を抑えねばならない。ソ連生産力利用に成功してもなお自給体制は完成せず、さらに南アフリカ占領や東アジアからの資源輸入が必要になる。東アジアの資源をドイツに送るにはシベリア鉄道の活用が理想だがすぐには使えないため、ドイツがスエズ運河を、日本がシンガポールを確保しインド洋経路を開通させるべきだ、と報告書は提言した。
北進論と南進論――報告書が支持した「比較的安易な」選択
この分析は、当時日本で議論されていた「北進論」(対ソ連共同作戦)と「南進論」(東南アジア資源確保)の対立と直結する。北進論は、日独が共同でソ連を攻撃し短期決着をつければドイツの資源獲得が早まり、報告書が示す通り対英戦争を有利に進められるとの構想だ。しかし問題は「日本が得るものが少ない」点にあった。ドイツの攻戦力増大による恩恵は間接的かつ限定的なのに対し、日本は残り少ない石油備蓄を消費し、樺太以外に大きな油田はなく、対中戦争も中断できない。ソ連攻撃は敵の敵である英国を攻撃することと同義であり、米国からさらなる制裁を招く恐れもあった。「得るものがないところにわざわざ貴重な石油を使うことはない」――報告書はそう判断した。
対する南進論は、当時の日本が喫して石油を手に入れる必要があった背景を考慮すれば合理的な選択だった。ボルネオや蘭印(インドネシア)には多くの資源があり、ヨーロッパ列強の植民地はすでにドイツの支配下にあるため占領自体は難しくない。もちろん結局は米国と対立することに変わりはないが、米国に石油禁輸されても蘭印の石油で持ちこたえられる。残り少ない石油を使って何も得られない北進より、比較的安易に石油が手に入る南進の方が都合が良い――報告書は南進論を支持する形となった。
分析と決断の乖離、そして残された問い
秋丸機関の分析は、冷徹な数字に基づき日本の進路を「南進」へ誘導した。しかし、その分析自体が示していたのは、南進してもなお「英米合作の経済攻戦力」という圧倒的な壁が存在することだった。報告書は「開戦後1年から1年半」という猶予期間を指摘したが、日本が真珠湾攻撃で米英を叩き、南方資源を確保しても、その期間内に米国の造船力と生産力が本格化する前に決着をつけることはできなかった。
歴史に「もしも」はない。だが、秋丸機関という組織が、軍部の意思決定とは独立した専門的分析を行い、その結論が「勝てない」と示唆していた事実だけは確実に残る。なぜその分析が戦争回避や外交的解決の材料として機能しなかったのか。あるいは、分析の前提自体が「戦争ありき」の枠組みの中でのみ機能していたのか。資料が示すのは、制度としての分析機能と、政治的決断のプロセスとの間にあった深い溝だ。その溝をどう埋めるか――あるいは埋められなかったのか――は、戦史研究のみならず、現代の安全保障政策を考える上でも避けて通れない問いとして残されている。