はじめに──二度の「引き裂き」と、変わらぬ日常
大晦日の夜、除夜の鐘が響く。それは紛れもなく仏教の音だ。年が明ければ、人々は神社へ初詣に向かう。神道の作法で新年を祈る。誰もそれを矛盾だとは思わない。結婚式は神社や教会で、葬儀はお寺で。クリスマスを祝い、節分で豆をまく。不思議だろうか。いや、これが日本人のありのままの姿なのだ。
明治元年(1868年)、新政府は「神仏分離令」を発し、千年続いた神と仏の結びつきを法律で引き裂いた。八十年後、敗戦後の1945年にはGHQが「神道指令」を出し、国家と神社を切り離した。二度にわたる権力の命令は、制度を変え、建物を壊し、看板を書き換えた。しかし、人の心の奥底まで変えることはできなかった。
第一章 権力が分かつもの、民が守るもの
明治の嵐──壊される仏像、沈められる祈り
神仏分離令の号令一下、全国で激しい破壊が始まった。奈良の興福寺では二千体を超える仏像が砕かれ、美しい五重塔がわずか二十五円(現代の百五十万円ほど)で売りに出された。鎌倉の鶴岡八幡宮からは仏堂も仏像も撤去され、京都の八坂神社は「祇園社」と改められ、祭神も「素戔嗚尊」へと書き換えられた。隣にあった寺院は次々と壊されるか、追い出された。
だが、すべてが失われたわけではない。破壊の手が迫るとき、名もなき村人たちは仏像を藁に包んで川底に沈め、土の中に埋めて隠した。「いつかまたお会いできますように」と涙ながらに祈り、命がけで仏様を守り抜いた。今私たちが拝むことのできる仏像のいくつかは、そんな無名の人々の勇気によって守られたものだ。法律で引き裂くことはできても、大切だと思う人の思いまで奪うことはできなかった。
昭和の嵐──国家から神社を切り離す「神道指令」
明治の分離が「神と仏を分けよ」という命令だったのに対し、昭和二十年(1945年)の神道指令は「国家と神を分けよ」という命令だった。全国約八万社の神社から国の保護が完全に取り去られ、公的資金の投入禁止、伊勢神宮への職員派遣禁止、学校や役所での神道行事禁止。神社は国家の施設から一般の宗教法人へと変わった。欧米でも前例のないほど厳格な政教分離が、日本に命じられたのである。
日本人は二度、引き裂かれた。明治で神と仏が引き離され、昭和で国家と神が引き離された。千年の絆は、完全に断ち切られたかに見えた。
第二章 裏側で息づく、切れぬ絆
那智山の仁王と狛犬──背中合わせの温もり
和歌山・那智山、世界遺産の那智山青岸渡寺の三重塔の門には、不思議な光景がある。表側に仁王像、裏側に狛犬。本来、仏を守る仁王と神を守る狛犬が、一つの門の中で背中合わせに立っている。表向きは「別れなさい」と命じられても、背中では互いの温もりを感じ続けていた。権力は表の顔を変えることはできても、裏側の絆まで断ち切ることはできなかった。
蘇る儀式──興福寺の春日若宮おん祭と鶴岡八幡宮の放生会
戦後五年、昭和二十五年(1950年)、奈良の興福寺で「春日若宮おん祭」が復活した。興福寺の僧侶が春日大社の本殿へ向かい、神社の本殿の前で静かに般若心経を唱える。半若心経の「色即是空」「唯識三十(世界はすべて心が作り出したもの)」という教え。神と仏を分ける境界線もまた、人の心が作った幻に過ぎないのかもしれない。この儀式は平安時代から明治の神仏分離まで毎日行われていた伝統が、八十二年の時を経て静かに戻ってきたのだ。神道指令が出されてからわずか五年後のことだった。
鎌倉の鶴岡八幡宮も同じだ。源頼朝が一一八七年に始めた「放生会(ほうじょうえ)」──捕らえた生き物を放ち、殺生を戒める仏教の法会。明治の神仏分離で鶴岡八幡宮からは仏堂も仏像も消え去ったが、放生会は「霊験祭(れいげんさい)」と名前を変えて続けられた。そして二〇〇四年(平成十六年)、「鈴虫放生会」として新しい形で蘇った。かつては魚、今は鈴虫。対象は変わっても、「生きていてほしい」と願う慈悲の心は、八百年の時を超えて今も鎮守の森で生きづいている。
第三章 今も続く、心の神仏習合
考えてみてほしい。大晦日の夜、私たちは寺院で除夜の鐘を聞く(仏教)。年が明ければ神社へ初詣に行く(神道)。言葉の中にも絆は残っている。「ご利益」──これは仏教の言葉だ。私たちは神社に行っても「ご利益がありますように」と言う。神様の前で仏教の言葉を使って願いを通す。誰もそれを間違いだとは言わない。言葉一つにも、しなやかな絆が刻まれている。
結婚式は神社や教会で、葬儀はお寺で。十二月にはクリスマスを祝い、二月には節分で豆をまく。不思議だろうか。いいえ、これが日本人なのだ。
そして最も身近な場所──日本人の家庭。政府がどれほど厳しく神仏分離を命じても、日本人は神棚と仏壇の両方を家に置き続けた。朝、パンパンと柏手を打って神棚に一日の活力を願い、チーンと鐘を鳴らして仏壇で亡き人に語りかける。生を励まし、死を包み込む。その両方がなければ、私たちの心はバランスを保てなかったのかもしれない。法律もGHQも、家の祭祀まで踏み込むことはできなかった。この習慣は、明治以降も戦後も、変わることはなかった。
おわりに──制度ではない、心に生きる知恵
時代は、政府は、神と仏を分けようと命じた。戦後、連合国は国家と神道を分けようと命じた。しかし、誰も命じることができなかったものがある。日本人の心の中で、神と仏をどう感じるか。それは誰にも変えることができなかった。
千四百年かけて育まれた神と仏の絆。それは法律でも、命令でも、壊すことはできなかった。
神仏習合。それは制度ではない。法律でもない。それは日本人の心の中に生きる、しなやかな知恵だ。
私たちは「無宗教だ」と言われるけれど、心の中を覗いてみれば、そこに神様も仏様も、仲良く座っているのではないだろうか。日本人は人生の節目節目で、神様にも仏様にも手を合わせる。結婚、出産、七五三、嬉しい時は神社へ。葬儀、法事、悲しい時はお寺へ。でもそれだけではない。商売繁盛を弁天様に願い、病気平癒を薬師如来に祈り、戦没者の慰霊を護国神社で行う。神様も仏様も、共に喜びも悲しみも、生も死も、すべてを受け止めてくださる。どちらか一方では足りないほど、人生は複雑で尊いものだからだ。
矛盾していてもいい。曖昧でもいい。その大らかさこそが、激動の時代を生き抜く私たち日本人の知恵なのかもしれない。千年の絆は、誰にも切ることができない。それはあなたの心の中でも、今も静かに息づいている。