「貯金が2000万円あれば、年金がなくても老後はなんとかなる」。そう考えて、毎月の支出をぎりぎりまで削った計画を立てる人は少なくありません。数字の上では、たしかに成り立つように見えます。けれど、こうした計画が数年で崩れてしまうことがあります。原因は計算ミスではなく、計算の外側から来る支出と、お金の見え方のクセです。ただし、貯金だけで老後を設計することが必ず失敗する、という話ではありません。何が起きやすいのかを知っておくことが、計画の精度を変えます。
正しい計算でも、予備費がないと崩れる
月の生活費が11万円なら年間132万円。2000万円なら単純計算で15年。80歳まで届くように見えます。この計算自体に間違いはありません。
ただし、ここには「予定外」が入っていません。住まいの修理、急な通院、冠婚葬祭、友人づきあい。これらは毎月の固定費の外側から、突然やってきます。予備費を別枠で用意していないと、一度の出費でペースが狂い、そのあとの計算を全部やり直すことになります。
残高が大きいと、出費が小さく見える
行動経済学では、これをメンタルアカウンティング(心の会計)と呼びます。人は同じ金額でも、財布の中身や口座の残高によって、重みを変えて感じるという考え方です。
2000万円という残高を毎日見ていると、17万円の出費は「誤差」に感じられます。しかし年間132万円で暮らす人にとって、17万円は1か月半ぶんの生活費です。金額そのものは変わらないのに、感じ方だけが小さくなる。ここに落とし穴があります。
一度使うと、次の出費が正当化される
8万円のレンズを買ったあと、三脚も、フィルターも、望遠レンズも「せっかく買ったのだから」と正当化されやすくなります。これをサンクコスト効果と呼びます。すでに払ってしまったお金は戻らないのに、その金額が次の判断を後押ししてしまうのです。
趣味を持つこと自体は悪いことではありません。問題は、上限を決めずに始めてしまうことです。仮の例として、カメラ本体4万円、レンズ8万円、三脚3万円、小物2万円で初期費用が17万円。年間予算の1割以上が、始めた月に消えた計算になります。
人付き合いのコストは予定表に入りにくい
友人を見舞うためのタクシー代、香典、お見舞いの品。一つひとつは、ごく自然な行動です。断れば関係がぎくしゃくするかもしれない。だからこそ、支出として認識されにくい。
仮の例として、往復6000円のタクシーが3回で1万8000円、香典2万円、お見舞い1万5000円で、合計5万円あまり。年間の計画に織り込んでいなければ、これは全部「誤差」として処理されます。収入が0の老後では、この「当然の行動」が残高を削っていきます。
貯金と年金の違いは「減るか、入り続けるか」
貯金は使えば必ず尽きます。年金は、金額が小さくても、生きている限り入ってきます。この違いは、金額よりも心理に効きます。
残高が減り続ける毎日と、毎月決まった額が入ってくる毎日では、同じ支出に対する構えが変わります。公的年金には、障害年金や遺族年金のように、老後以外のリスクをカバーする機能もあります。払った額に対して受け取る額が少ないと感じる人がいるのも事実で、制度への不信感も理解できます。それでも「保険としての機能」と「老後の収入の土台」という二つの役割は、貯金だけでは置き換えにくいところです。
なお、厚生労働省が公表している国民年金保険料の納付率は、近年8割台で推移しています。未納の背景には、経済的な事情が関わっている場合もあります。誰にでも「払うべき」と言える問題ではないことを、ここに添えておきます。
計画を守るために、先に決めておけること
計算を変えるより、計算の外側に枠を用意するほうが現実的です。
- 予備費を生活費とは別に、年間で確保しておく。使わなかったら翌年へ繰り越す
- 趣味や旅行の年間上限を先に決め、月割りにして残高から引いておく
- 大きな買い物の前に「これは生活費の何か月分か」に換算してみる
- 人付き合いの予算を、生活費とは別枠で持っておく
- 年金事務所や自治体の相談窓口、ファイナンシャルプランナーに一度試算してもらう
これで必ず防げるわけではありません。ただ、判断の基準を先に決めておくと、その場の気分で決める回数は減ります。
この見方が当てはまりにくい場合
資産が生活費の何十倍もある場合や、年金以外の安定した収入がある場合、もともと支出が少なく変動も小さい場合は、ここで書いたような崩れ方は起きにくいと言えます。
また、保険料を納めるのが難しい事情を抱えている人もいます。免除や猶予の制度があり、自治体の窓口で確認できます。自分に当てはまるかどうかは、一般論ではなく個別の状況で判断するのが現実的です。
まとめ
老後の家計が狂うとき、数字そのものは間違っていないことが多いものです。間違うのは、数字の外側にある支出と、残高の大きさに引っ張られる感じ方のほうです。まずは年間の予備費と、趣味・交際の上限を決めてみてください。その枠があるだけで、同じ残高でも判断の仕方が変わります。