5歳くらいの子どもが、色鉛筆の箱を探りながらつぶやく。「鉛筆どこ? 青いのがいるのに」。少し考えて、また言う。「いいや。赤で書いて水で濡らそう。濃くなって青に見えるから」。誰に聞かせるでもない声で、子どもは次の手を決めていく。部屋の隅では心理学者がその声を書きとめていた。困り事が起きると、子どもの独り言は2倍近くに増えたという。
大人になると、同じような声はたいてい頭の中へ移る。鍵をどこに置いたか、先に何を済ませるか。一日中、自分に話しかける声が聞こえる気がする。この声はなぜ止まらないのか。紀元前の哲学者と、ソビエトの保育室の記録、そして頭の中に声がないという人たちの報告をたどると、少し違った輪郭が見えてくる。
考えることは、自分との会話だった
紀元前4世紀、プラトンは対話篇の中でソクラテスにこう語らせている。考えている時の魂は、自分に問い、自分で答え、声に出さず自分に向かって黙って話す。それが考えるということだと。2000年以上、確かめようのない一つの考えだった。
それを子どもの言葉から確かめようとした人たちがいた。6歳から7歳頃の子では、言葉の44%から47%が誰にも向けていない独り言だった。スイスの心理学者はこれを幼さの現れだと考えた。大きくなれば消えていく癖だと見られていた声に、ソビエトで疑いを持った人がいる。わざと困らせたら独り言はどうなるのか。紙がない、使いたい色の鉛筆がないという場面を作ると、独り言は困り事のない日の2倍近くに増えた。
路面電車の絵を描いていた5歳半の子は、鉛筆の芯が折れると「折れちゃった」とつぶやき、鉛筆を置いて絵の具を手に取った。そして事故で壊れた電車の絵を描き始めた。つぶやいた一言が、絵の中身まで変えた。独り言はただのおまけではなく、考えるための道具だったのだ。
ところが学校に上がる頃、この声は聞こえなくなっていく。年上の子は困ると黙って様子を見てから手を打つ。何を考えていたのか尋ねると、小さな子の独り言とそっくりの答えが返ってきた。声は消えたのではなく、内側へ移ったのではないか。それがソビエトで生まれた説だった。
独り言は、人に向けた会話の名残り
子どもの独り言は、本当に自分だけに向けた言葉なのか。自分だけに向けた言葉なら、周りに誰がいても数は変わらないはずだ。そこで子どもを耳の聞こえない子どもたちや、別の言葉を話す子どもたちの輪に入れて絵を描かせると、多くの子で独り言がぴたりと止まった。止まらなかった子でも、およそ8分の1に減った。一人で座らせても、大きな音楽で周りの声をかき消しても、独り言は減った。子どもの独り言は、誰かに聞こえて分かってもらえるつもりの時に出てくる言葉だった。
大人の頭の中の声にも、会話だった頃の名残りがある。大学生に頭の中の声の様子を尋ねると、頭の中でやり取りのように話すという答えが77%に上った。頭の中の声に他の人の声が混じるという答えも、4つに1つほどあった。考えることは自分との会話というプラトンの言葉は、ただの例えではなかったのかもしれない。
喉と顎の下に小さな電極を貼った人が、声を出さずに6つの英語を言う。止まれ、進め、左、右、アルファ、オメガ。電極が拾うのは喉と下の筋肉のごくかすかな電気だけだ。それでも機械は6つの言葉を平均で92%言い当てた。黙って本を読む時や自分に話しかける時も、喉と下の筋肉は声を出す時のようにかすかに動いている。頭の中の声は、声になる一歩手前の話す動きでもあった。
声はブレーキになり、次をそっと教える
頭の中の声の働きを確かめる方法の一つは、声を塞いでしまうことだ。同じ言葉を声に出して繰り返し言い続けると、頭の中の声はほとんど使えなくなる。カナダの大学生37人が、画面に出る図形の色を見てボタンを押すか我慢するかを素早く決める課題に取り組んだ。片手で丸を書き続けながら解く時と、「コンピューター」と言い続けながら解く時を比べると、言い続けた時の方が、押してはいけない場面でもボタンを押してしまいやすかった。頭の中の声は、出そうになる手を止めるブレーキの役目もしているようだ。
足し算と引き算を一問ずつ交互に解く課題では、声を塞ぐと切り替えでつまずいた。ところが、記号や色で次の計算を教えてもらえる時は、声を塞いでもつまずかなかった。頭の中の声は、次にやることをそっと自分に言い聞かせていたのだ。
7歳頃からの子どもは、名前の響きが似た絵ほど覚えにくくなる。それより小さな子どもには、この違いがあまり出ない。絵の名前を頭の中で唱えて覚えるようになったからだと考えられている。学校に上がる頃、声が内側へ移るのと重なる時期だ。しかも頭の中の言葉は随分短く縮められている。たとえば頭の中で「面接」とだけ言ったとする。その一言には不安も準備も期待も詰め込まれている。分かりきった主語は消え、言葉はメモのように短くなる。頭の中の短いメモを後で普通の文に書き直してもらうと、1分間に4000語を超える速さで話したのと同じ量になった。声に出しては追いつかない速さで、頭の中の会話は進んでいる。
声がいつもあるとは限らない
ロンドンの学者が1880年に102人から返事を集めた。今朝の朝食のテーブルを思い浮かべて、どのくらいはっきり見えるか書いてほしいと尋ねた。学者は誰の頭の中にも絵のように見えるものだと思っていた。ところが、最初に尋ねた科学者の多くは、頭の中に絵が見えるなど思いもよらないと答えた。朝食のテーブルのことは覚えているが、見えはしない。頭の中は人によってまるで違う。しかも人はそれになかなか気づかない。
頭の中の声でも同じことが起きていた。アメリカの大学生30人が小さな機械を身につけて普段通りに暮らした。機械が鳴ったら、鳴る直前の一瞬に頭の中にあったことを書きとめる。後でその一瞬を一つずつ面接で確かめていくと、頭の中で自分に話していたのは全部の瞬間の26%だった。人による違いも大きく、75%の瞬間で話していた学生もいれば、一度も話していなかった学生もいた。質問紙で答える別の調査では、4回に3回ほど頭の中に言葉があったと答えている。確かめ方で数は変わる。
頭の中の声がほとんどないという人もいる。声がとても少ない人は、5つの言葉を順番通りに書き出す課題や、絵の名前が韻を踏むかどうかを決める課題が難しめだった。ところが、課題の時に実際に声に出していた人は、声の多い人と同じくらいできた。内側で言うか外で言うか、どちらでも言葉を使えば同じ働きをしていたのだ。足し算と引き算の切り替えでは、二つの組に差は見られなかった。内側の言葉がない状態には、アンドファジアという新しい名前もつけられた。
声のない頭の中では、どうやって考えているのか。機械が鳴った瞬間を調べると、言葉も絵も浮かんでいないのに、はっきりとした考えをしていた瞬間が5回に1回ほど見つかった。脳の左側に大きな傷を負い、文法をほとんど使えなくなった3人の男性も、かっこのついた複雑な計算式を解くことができた。言葉と考えることは、別々に働くことがある。
青い鉛筆を探す声は、次にどうするかを決めるためのものだった。大人の頭の中の声も、おそらく同じように、何かを選び直すために鳴っている。ただし、その形や頻度は人によって違う。声が止まらないと感じるとき、まずはその声が何を言おうとしているのかを、少しだけ聞いてみてもいいのかもしれない。