はじめに
財布からお金が出ていくたび、胸の奥がざわつく。通帳の数字が減っていくのを見て「このままでは」と不安になる。そんな気持ちは、二千五百年前の仏典にもすでに描かれていた。
キッカ長者とお釈迦様の対話
大富豪キッカ長者(本名スダッタ)は、王子の林を金貨で敷き詰めて譲り受けたほどの財力を持っていた。その彼がお釈迦様を訪ね、座ると、釈迦様から「長者よ、金から得るべきものが五つある」と告げられる。
五つの使い道
1. 自分と身近な人を楽にする
正しく得た金でまず自分を喜ばせ、父母、妻子、働く人々を楽にする。自分のためにお金を使うことに後ろめたさを感じる人もいるが、経典はこれを最初に掲げる。
2. 友人や仲間を喜ばせる
信頼する友や同僚と分かち合い、関係を温める。
3. 災いに備える
火事、水害、王の徴収、盗賊、望まない相続人。人々が恐れるリスクへの備えとして蓄えることは否定されない。
4. 五種の供養
親族、客人、亡き祖先、王(現代で言えば税)、神々への供養。社会的な役割を果たす使い道だ。
5. 修行者への布施
欲を離れ、忍耐強く穏やかに暮らす出家者たちへ施す。これが最も高尚な使い道とされる。
「減っても増えても後悔しない」という境地
この五つのために使っていて金が減るなら「得るべきものは得た、今は減っている、だから後悔がない」。増えるなら「得るべきものは得た、今は増えている、だから後悔がない」
お釈迦様は「金が尽きることもある」と前提し、減らさない方法でも増やす方法でもなく、後悔のない使い方を説いた。
使わずに守った金は池の水と同じ
別の経典では、莫大な遺産を残しながら粗末な暮らしをした富豪の話が出る。釈迦様は「人里離れた池の水は誰も汲まず、飲まず、浴びず、やがて枯れる。逆に村の池は人々に使われて循環する」と例え、使わない金は誰の暮らしも楽にせず終わると示した。
現代に生きる私たちへのヒント
お布施の本来の意味
日本の葬儀や法事で納めるお布施は、この五つ目の「修行者への布施」の遠い源流にある。全日本仏教会は「お布施はサービスの対価ではなく、見返りを求めない施しであり修行の一つ」と声明し、大乗経典『大宝積経』には「清らかな布施には三つの囚われがない」とある。自分が与える人だと思わない、相手が受ける人だと思わない、施したものや見返りに囚われない——これを「三輪清浄」という。
ある葬儀関係者の気づき
実家が寺院ながら宗教を意識せず育った一人が、葬儀の現場で多額のお布施を包む人々を見て「なぜそこまで出せるのか」と疑問を持った。しかし、その人々には不思議と余裕があり、大きな金が巡っているように感じられた。仕事でも先に動いて後から金が入る循環を実感し、「金は巡るもの」と腑に落ちたという。ただ、心から納得せずに布施や寄付をすると「損をした」と後悔が生じる。そこで衝動買いを避け、本当に価値があるか考える時間を持つこと、金を巡らせる意識を大切にしていると語る。
おわりに
お金の不安を完全に消す方法は経典にも書かれていない。金は減ることもある。けれど、五つの使い道を物差しにして「この金は誰かを楽にするだろうか、備えになるだろうか、施しになるだろうか」と問い、一つでも胸を張って「そうだ」と言えれば、減ったときも「得るべきものは得た」と思える。古の教えは、今も私たちの心を静かに照らし続けている。