体を削って働くほど報われない理由を、お金の流れから読み解く
新卒で警備会社に入った筆者は、日勤・夜勤を問わず休日を返上しても給料が上がる実感が持てなかった。同じ建物の中でエアコンの効いたオフィスで働く人の方が高い給料をもらっている――その違和感には、個人の能力や努力だけでは説明できない「構造」がある。本稿では、会社がいかに稼ぎ、いかに分配するかという二つの視点から、仕事のきつさと給料の不一致を整理する。
1. 事業モデルの「スケーラビリティ」が生む、一人当たりの付加価値の差
ソフトウェア開発会社を例に考えよう。担当者が作った機能を、複数の顧客に追加コストほぼゼロで売れる。顧客が増えても開発者を同割合で増やす必要はなく、一人当たりが生み出せる金額を増やせる余地(スケーラビリティ)が生まれる。一方、警備や清掃は「一人が一つの現場に立つ間、別の現場に同時に立てない」。契約を増やせば人員と時間が比例して必要になり、売上とともに費用も膨らみやすい。道具や配置の工夫で改善の余地はあるが、「人を増やす以上に収入を広げられるか」という点で、事業の条件そのものが異なる。
これは「パソコンを触る人が偉い」という話ではない。一度の仕事を複数の顧客からの収入につなげられる仕組みを持つかどうかだ。専門知識で顧客の解決不能な問題を扱う仕事や、大型取引の条件調整を行う仕事も同様に、時間あたりの事業収入が高くなりやすく、結果として高い給与を払える余地が生まれる。
2. 稼げる会社が必ずしも高く払うわけではない──「レントシェアリング」と労働市場の競争
会社に利益があっても、社員に高く払うとは限らない。給与が上がるメカニズムには二つの条件が重なる必要がある。第一に、事業を担う人を引き留める必要性だ。同等の経験を求める他社がより良い条件で募集していれば、現状の待遇では採用も定着も困難になる。第二に、その仕事に高い需要があり、担い手の確保が急務であることだ。この二つと「会社の支払い余力」が重なると、高い給与が成立しやすい。
企業・従業員マッチングデータを用いた研究では、働く人の技能差だけでは説明できない「企業ごとの賃金差」が確認されている(Card et al., 2018 など)。つまり同じ人が同じような仕事をしても、どの会社に務めるかで給料が違う。給与額をその人の能力だけの成績表として読むことはできない。
3. 同じビルの中でも「給料の財布」は別々──委託構造が生む断絶
入居企業の社員、警備員、清掃員が同じビルで働いていても、雇用主はそれぞれ異なる。入居企業が大きく儲かっても、その利益がそのまま警備・清掃会社の売上に上乗せされるわけではない。委託先が受け取るのは「契約したサービスの対価」であり、そこから必要経費を賄い給与を払う。契約価格が変わらなければ現場の給料が上がることはなく、契約価格が上がってもそれが賃金に回るかは別問題だ。
警備業界の自主行動計画やビルメンテナンス業界の資料でも、労務費を取引価格に反映させることや処遇改善が課題として挙げられている。現場の負担が増えたとき、それを発注契約に反映できるか。そして会社に入るお金を働く側にどう回すか。現場の人が頑張るだけでは変えられない段階がある。
4. 公的価格が決まる介護・公共工事──「負担への上乗せ」だけでは埋まらない溝
介護保険サービスでは、事業所が受け取る報酬に公的な基準がある。利用者の状態に合わせ負担が増えても、自由に単価を変えられない。処遇改善加算があり、事業所が賃金をどう決めるかという段階はあるが、「大変な仕事だからもっと高く払うべきだ」という考えを実際の待遇につなげるには、制度で原資をどう確保するかと職員へどう配分するかの両方が必要になる。
炎天下での作業も、交通誘導・建設・設備保守など多様な仕事が含まれる。不快・危険な条件を引き受けてもらうための手当てがつくことと、他の職種より年収が高くなることは別だ。夜勤手当があっても基本給が低ければ、別の日中の仕事より年収が低いケースもある。負担への上乗せだけでは、技能・会社・契約・給与制度の差まで埋められない。
5. 「未経験で入りやすい=誰でもできる」ではない──見えにくい技術と移動制約
応募できることと、安全に仕事を続けられることは同じではない。介護で利用者の変化に気づく、警備で周囲を確認する、清掃で材質・場所に合わせ品質を保つ――目立たなくても仕事を成立させる暗黙知(タシットナレッジ)がある。また人手不足でも、通勤範囲・家族の予定・シフト制約で別の会社を簡単に選べない人がいる。企業間で待遇を競う力(労働市場の競争圧力)が十分に働かない場合がある。技能だけで給料は決まらない。
6. 構造的な人手不足が、同僚への不満を生むメカニズム
必要な人数ギリギリで回している職場では、誰かが休むと残った人に仕事が回る。「自分も疲れているのにまた穴を埋めるのか」という不満が、休んだ同僚へ向く。しかし休むことがそのまま同僚の負担になるのは、欠員に対応する仕組み(バッファ)の問題でもある。休んだ人と穴を埋める人だけで争っても、人員の余裕は増えない。
海外の医療分野で235人を1年間追跡した研究では、初期の業務負担の大きさと後のいじめ経験との関連が報告されている(Hansen et al., 2011)。これは給与を変えた実験ではなく、低賃金の人が性格が悪くなるという話でもない。それでも人間関係を「相性」だけで片付けず、仕事の量や支援体制を一緒に見る理由にはなる。役割が曖昧で仕事を押し付け合い、上司が調整しない条件も見直したい。個人間で不満を処理するだけでは同じ対立が残る。
7. 「入りやすかった会社」で10年後、選択肢は広がったか──キャリア資本の視点
面接1回で採用された会社は悪い会社とは限らない。入り口が広くても人を育てる会社はある。逆に難しい選考を通っても、その後の成長が保証されるわけではない。問いたいのは「その10年で、会社の外でも使える技術や経験は何だったか」だ。
- 社内手順に詳しくなった、誰に頼めば進むかわかった → 今の職場を支える力(企業特殊的人的資本)
- 後輩を教えた、困った顧客に対応した、作業の無駄を減らした → 何を担当しどう工夫したか説明できる経験(一般的人的資本・移転可能スキル)
技術は資格の名前だけではない。室内で体の負担が軽いことと、心理的にも楽なことは別だ。高い給料を払える理由は「事業の仕組みと分配」。働きやすさにはそれに加え「裁量と支援」も関わる。両方を確かめたい。
明日からできるアクション
- 自分の給与が「どの財布から出ているか」を確認する:直雇用か派遣・委託か、親会社の業績が自分の給与に直結する構造か、契約単価の見直しルールはあるかを人事や上司に聞く
- 今の仕事の「スケーラビリティ」を点検する:自分の成果が複数の顧客・案件に横展開できるか、属人化していないかを整理し、移転可能なスキルとして言語化する
- 職場の「バッファ(余裕)」の有無を観察する:欠員時のカバー体制、上司の調整権限、優先順位変更のルールがあるかを確認し、構造的な過負担なら個人の努力で解決しないことを認識する
- 10年後の履歴書を逆算して書いてみる:「この会社で何を習得し、どこで通用するか」を3行で書き出し、足りない要素があれば社内外の研修・副業・資格取得で補う計画を立てる