かつてテレビは「共通の話題」をつくる装置だった
1980年代、土曜の夜8時は多くの家庭でテレビの前が定位置だった。『8時だよ!全員集合』は最高視聴率50.5%を記録したとされ、裏番組との「土曜8時戦争」と呼ばれる競争も起きた。同じ時間に同じ番組を見ることが、翌日の学校や職場での会話の前提になっていた。
この時代を支えたのは、広告収入の循環だった。面白い番組を作れば視聴率が取れ、視聴率が取れればスポンサーが付き、スポンサーが付けばさらに制作費をかけられる。『8時だよ!全員集合』の美術費は1回あたり約800万円、年間でおよそ4億円に上ったとされる。巨額のセットを一瞬で壊すような演出が、数字を取るための投資として成立していた。
テレビ以外に娯楽や情報の入り口がほとんどなかった当時、テレビはこの国の共通言語そのものだった。
事故と規制が「攻める番組」を減らしていった
1990年代後半から2000年代前半にかけて、収録中の事故ややらせ問題が相次いだ。1993年には『やるならやらねば』の収録中に出演者がセットから転落して亡くなり、1999年には一般女性が亡くなる出来事も起きた。2002年には『筋肉番付』で一般参加者が大けがをした。
これらを受けて、1999年に民放連は放送基準に児童・青少年への配慮を明文化し、2003年にはBPO(放送倫理・番組向上機構)が設立された。過激な企画やお色気コーナーは次第に姿を消し、PTAが発表する「子供に見せたくない番組」ランキングもスポンサー離れの圧力になった。テレビは「攻めない、怒られない」番組作りへと変わっていった。
規制は表現をつぶすためではなく、実際に起きた事故や批判への対応だった。しかし結果として、かつて数字を取っていた派手な演出の多くが使えなくなった。
やらせと捏造が「事実への信頼」を壊した
2007年、『発掘!あるある大事典』の納豆ダイエット特集で、実験データが最初から存在しなかったことが明らかになった。比較写真は別人で、海外の教授のコメントも言っていないことをテロップで流したとされる。放送翌日にはスーパーから納豆が消えるほどの影響を起こしただけに、視聴者の落胆は大きかった。
その後も問題は続いた。2013年には『ほこ×たて』で、出演者本人がネット上で「事実と違う」と告発。実際には行われていなかった対決を、編集で行われたかのように見せたとして、BPOが重大な放送倫理違反を認定した。2014年にはNHKの『クローズアップ現代』の出家詐欺特集でもやらせ疑惑が浮上し、2015年にBPOが報道番組として許容範囲を逸脱していると判断した。
さらにNHKでは2004年に番組制作費の不正支出が発覚し、受信料の支払い拒否が急増した。政治的压力による番組改変問題も表面化した。かつては「演出」と「事実」の境目が曖昧でも許されたが、ネットで個人が直接告発できる時代になり、テレビ局は都合の悪い情報を隠しきれなくなった。
テレビを見なくなったのは「代替ができた」だけではない
インターネットやスマートフォンが普及したからテレビを見なくなった、という説明だけでは足りない。代替手段が広がる前から、テレビへの不信は少しずつ積み重なっていた。ネットは、テレビに代わる情報の逃げ場として機能した面がある。
一つのメディアが情報の入り口を独占していた時代は、そのメディアの不祥事が社会全体の情報への不信に直結しやすい。今は情報源が分散したが、そのぶんアルゴリズムや誤情報といった別のリスクも生まれている。
情報源を選び直すための小さな点検
テレビが信頼を失った経緯から、日常の情報との付き合い方を点検する手がかりを整理しておきたい。すべてを疑う必要はないが、健康やお金、安全に関わる情報ほど、次のような確認が負担を減らす。
- 一次情報に当たる。番組や記事が加工した数字ではなく、自治体や研究機関の発表、当事者の発言そのものを確認する。
- 「再現」や「イメージ」の表示を見る。事実と演出が区別されているか、注記を確認する。表示がない場合は、その情報を事実として受け取らない。
- 情報源の資金源や立場を意識する。広告収入や受信料、スポンサーの影響がないとは言い切れない。複数の独立した媒体で見比べる。
- 娯楽と事実確認を分ける。バラエティ番組に事実性を求めすぎず、報道には演出がないか注意する。目的に合った情報源を選ぶ。
合わない場合の代案として、まずは「健康・お金・安全」の3分野だけ厳しめに確認する、という段階的なやり方もある。すべての情報を疑うと疲れるため、範囲を絞るほうが続けやすい。
テレビを見なくなった背景には、技術の変化だけでなく、視聴者との信頼関係の積み重ねがあった。同じ失敗を自分の情報環境で繰り返さないために、大事な情報ほど一次情報に近いところで確認する。その小さな習慣が、テレビに限らず今の情報との付き合い方を軽くする。