学校で教わることは基準であり、シンプルで大切なことばかりだ。しかし社会に出れば、その常識が通用しない瞬間に直面する。海外では法律もルールも習慣も異なり、同じ会社の中でも「調子が違うだけでやり方も正解もプロセスも違う」ことがある。何を信じていいかわからなくなる時、最も大切なのは「物事の本質と根源」を見つめることだ。
役者という職業の根源に触れて
俳優として長く続けてきたからこそ気づいたという。「役者というものがなぜ何百年も廃れずに続いている職業なのか。誰に、何のために存在していて、どんな方に何を伝えるべきなのか。その根源を見つめると、努力するポイントが見えてきた」と話す。シンプルな問いかけの中に、迷いを突破する鍵がある。
バツがつく瞬間こそが勉強になる
「バツがつかないと勉強じゃない」と母から教わったという。全部丸ならできることを再確認しただけ。間違えたところに向き合える子になってほしい——その教育論は、親が成績表を見せる時も徹底されていた。「バツがついて初めて勉強になるんだから、バツもついて良かったね」と言い続けた母親の姿勢。挫折を罪悪感ではなく「苦手なところがはっきりした」という発見に変える視点は、大人になっても持ち続けたいものだ。
挫折から立ち直るための「一歩」
どれだけ悩み、泣き、考え続けても状況は変わらない。変えられるのは「自分が前を向いて、一歩踏み出して何かを切り開いていく」ことだけだ。諦めることも一つの手だが、諦めたなら別の道へ進む。それもまた一歩だ。何にせよ「自分が行動に移すことが一番大事」というシンプルな真理に帰着する。
習慣化は「才能」ではなく「環境」で決まる
人間は明日の利益より今日の利益に勝てない。子供も大人も、目の前の誘惑に我慢できない。習慣化が才能と言われる能力を身につけさせるのなら、「誘惑に勝てる」と思わないことが第一歩だ。「人間は基本的に誘惑に勝てない」と割り切り、いかに良い環境に身を置くかを考える。それこそが後悔しない生き方への近道になる。
勝つことだけが人生ではない、だが「やるなら一番を目指す」
勝者だけが生きられるわけではない。中間の人たちも幸せに生きられる社会だ。それでも「やるなら一番を目指す」とあえて言う。夢をコロコロ変えるなら、嫌ならやめればいい。3回でも4回でも5回でもやめればいい。ただし「どんなに好きな道でも大変なことはある。辛いことは絶対ある」と知った上で進むか、やめるかを選ぶことが大切だ。
本田圭佑「諦めるわけなかった」——少年の頃の確信
「絶対に自分は努力したら何人にでもなれる」と信じていた少年時代。かめはめ波のイメージトレーニングを真剣にやり、「はめはめ波を実現しようとしてる僕がワールドカップ優勝できないわけがない」と思い込んで取り組んでいた。その延長線上にプロサッカー選手になった。歯を食いしばって頑張れるか、誰にも見られずに大変な作業を続けられるか——人間にはそんなにできない。だから「どうすれば楽しくできるか」「どう見ればポジティブに考えられるか」という思考の転換こそが、メンタルの強さの正体だ。「考え方が皆さんが見えてない角度から物事を見てるだけ」なのだ。
夢のエネルギー源は「誰を喜ばせたいか」
叶えたいという情熱は大前提だが、そのきっかけや同期は家族や親しい友人といった近しい人間関係から来ている。「誰を喜ばせたいか」が夢と密接に結びついている時、そこがエネルギーの源になる。邪魔をする人は家族含めて現れるが、それに屈しては夢は叶わない。挫折するたびに「ほらね」「やめとけよ」と言われる。その時、自分の胸に「夢を叶える覚悟がまだあるか」を問う。イエスなら反論すべきだ。自信がなければ、やめる選択も悪くない。サッカーだけが道じゃない。もっといろんな世界を見てほしい。無理だと思ったら別の道へ行くのも勇気だ。その方が幸せになっている人もたくさんいる。
組織の中で自分を貫くには「結果」が先
会社員として組織にいる以上、結果を出していないうちに我を通すのは「虫が良すぎる」。結果を出した人が貫ける。独立するなら別だが、組織の一員であるなら結果ありきの話だ。まずは結果を出すこと。それ以外に道はない。
人間関係の極意——「来るものは拒まず、去るものは追わない」
出会いから別れまでがある人間関係。基本は「来るものは拒まず、去るものは追わない」。ただし先輩や後輩には自分から連絡する。「忙しそうだから」と相手の都合を理由にしない。自分も忙しいし、相手も忙しい。忙しいから会えないのは言い訳だ。自分から動くことが、関係を紡ぐ最低限の姿勢になる。
年末に耳を傾けたい言葉の数々。どれも特別な技術ではなく、視点を少しずらすだけで今日から使えるものばかりだ。迷った時、立ち止まった時、静かに背中を押してくれる言葉たちとして、胸に留めておきたい。