貯金額だけでは決まらない「後悔」と「納得」
65歳で貯金2000万円があっても後悔する人がいる一方、60歳で仕事を辞めても穏やかに暮らす人がいます。違いを分けるのは貯金額だけではなく、今しかできない時間を「退職後」や「いつか」へ先送りする習慣があるかどうか、という点です。
ただし、2000万円が十分かどうかは年金、住まい、健康状態、家族構成によって変わります。60歳で辞めれば幸せになれるという話でもありません。生活の安全を守るお金は必要で、必要な蓄えは人によって違います。
ここで扱う「5つの時間」は、老後の満足度を測る科学的な指標ではなく、暮らしを見直すための一つの考え方です。お金の不安をなくす話ではなく、お金では表示できない時間の減り方に気づくための視点として読み進めてください。
お金が守るものと、お金では買い戻せないもの
たとえば、65歳で2000万円を貯めた人が、5年前に妻と約束した京都の坂道を、妻の膝の痛みで歩けなくなっていたとします。貯金は増えたのに、「あのとき行っておけばよかった」という気持ちは残ります。これはお金が無意味だったという話ではありません。お金は住まいや生活費、予想外の支出を守る道具です。ただ、体が動く時間や相手と都合が合う時間は、残高のように増やせないことがあります。
反対に、60歳で退職した人が贅沢をしているわけではなくても、穏やかに「辞めてよかった」と話すことがあります。退職後の生活費の見通しを確認し、必要なら短い仕事も考える。そうした備えの上で、自分の時間の使い方を考えていたからです。早期退職を勧めるのではなく、辞める・働くの選択と、その後の時間の使い方を分けて考えることが大切です。
静かに減っていく5つの時間
1. 自分の体で行きたい場所へ行ける時間
健康は努力すれば必ず保てるものではなく、病気やけがもあります。だから「元気なうちに全部やる」と焦る必要もありません。大切なのは、やりたいことをすべて退職後の箱に入れないことです。今の体に合う方法を考え、来月2時間ならどこへ行けるだろう、と問い直すだけでも、健康を守ることと健康を使うことがつながります。通院中なら医師の指示を優先してください。
2. 大切な人と互いの都合が重なる時間
親や友人との時間も、相手がいつまでも待ってくれるとは限りません。相手にも予定があり、体調があります。会いたい気持ちが何年も同じ形で続くとも限りません。ただし、親に会うために仕事を辞めるべきだという話ではありません。有給休暇を使う、短時間だけ訪ねる、電話で気持ちを伝える方法もあります。家族関係が難しく、距離を置くことが安全な人もいます。今週、短い連絡を1つ送るだけでも構いません。
3. 自分の一日の順番を自分で決められる時間
仕事には収入や達成感がある一方、毎朝決まった時間に出かけ、誰かの都合を優先する生活でもあります。長年続けると、自由な時間ができても何をしたいか分からないことがあります。自由とは何も予定がないことではなく、自分で予定を選べることです。週に1度、午前中だけは自分の予定にする。家族に頼まれたら「その日は予定があるから、午後ならできる」と伝える。小さな枠を決めることから始められます。
4. 下手なまま新しいことを始められる時間
人生後半の学びは、これまでの経歴を証明する試験ではありません。うまくできない自分を許す時間でもあります。何かを始めるたびに成果を出す必要はなく、途中でやめても、別のことを試してもいいのです。高い道具を揃えるより、家にあるもので1度試す。教室なら1回の体験から始める。準備が終わったら、より安全に試せる最初の一歩は何かを考えます。
5. 誰の役にも立たなくていい静かな時間
予定をこなすことが安心につながっていると、何もしないで座っているだけで落ち着かないことがあります。役に立つことは大切ですが、役に立たない時間に価値がないと思い始めると、休むことにも罪悪感が生まれます。休息は頑張った人へのご褒美ではありません。週に1度、何も約束しない午後を作り、昼寝でも読書でも、何もしない時間でもいいと数え方を変えてみます。疲れている日に無理に出かけることが、豊かな過ごし方とは限りません。
今日の判断材料として
貯蓄には、将来の不安を減らすためだけでなく、今の生活を支えるために使う面もあります。通帳の数字だけを人生の成績表にしないためには、必要な備えを確認したうえで、今の時間にも目を向けることが必要です。
60歳で辞めても65歳まで働いても、正解は一つではありません。介護や病気、経済的な事情で、思うように時間を使えない人もいます。強い不安や気分の落ち込みが続く場合は、無理に自分だけで抱えず、医療や相談の窓口を頼ってください。
試すなら、来月の予定表に、心から楽しみにできる時間を1つ書いてみます。遠出でなくても、会いたい人への電話でも、初めての教室でも、何も約束しない午後でも構いません。家計や体調を確かめ、無理のない形にすることが前提です。お金はこれからの暮らしを守る道具です。守りたい暮らしそのものを、すべて未来へ預けなくてよいのだと思います。