山あいの断食道場で、57歳の会社員、山口さんが日曜の夜8時から水とお茶だけで過ごしている。火曜の朝8時でちょうど36時間。空腹は思っていたより強くなく、むしろ午後になって波のように押し寄せてきた。食べない時間が36時間を超えると、体は休むどころか、別の動きを始める。先に言えば、省エネで眠り込むのではなく、むしろ少し活発になる。ただし、筋肉は少しずつ分解され、次の食事で血糖値は上がりやすくなっている。この両面を知っておくと、断食を美化せずに済む。
空腹は「エネルギー切れ」ではなく、時刻に合わせて来る波
デンマークで若い大人33人が最長84時間の断食中、3時間ごとに採血を受けた研究がある。空腹を知らせるホルモンのグレリンは朝8時頃が最も低く、午後に高くなる波を描いた。その波は断食が3日を超えても毎日同じリズムで繰り返され、1日平均では断食が長くなるにつれてわずかに下がっていった。
山口さんが朝の空腹を弱く感じ、午後3時頃に強く感じたのも、この波の時間帯と重なる。空腹は体のエネルギーが尽きた合図ではなく、時刻に合わせて来る波だ。百貨店に例えるなら、入荷がなくても決まった時刻に鳴る館内チャイムのようなもの。空腹の強さだけで体の危険度を判断しないほうがいい。
体は省エネで眠るどころか、むしろ少し活発になる
オーストリアの研究では、痩せ型の健康な11人が84時間の断食を行い、安静時のエネルギー消費が1日目より3日目のほうが約14%高くなった。体を活動体制にするホルモンのノルアドレナリンは4日目に約2倍に増え、血糖値は80台後半から60台前半まで下がっていた。食べないと代謝が落ちると思われがちだが、最初の3日間は逆の反応が起きていた。
山口さんが「体は少しだるいのに頭は妙に冴えている」と感じたのも、この変化と同じ向きの話かもしれない。ただし参加者は痩せ型の人たちで、年齢の高い人や太り気味の人で同じかは分かっていない。
筋肉を守る仕組みと、それでも進む分解
断食2日目には、成長ホルモンの量が普段の約5倍に増える。出る回数がおよそ2倍になり、1回あたりの量も多くなる。成長ホルモンには脂肪を使いやすくし、筋肉のたんぱく質を節約する働きがある。百貨店で言えば、店長が「棚と陳列台には手をつけるな」と館内放送で呼びかけている状態だ。
しかし守りきれない部分もある。若い健康な男性8人を72時間断食の前後で調べた研究では、腕の筋肉から血液へ出ていくアミノ酸の量が断食前の約2倍になっていた。アミノ酸はたんぱく質の部品で、筋肉が少しずつ分解されて外へ運び出されていたことになる。筋肉を作れという合図を伝える仕組みの働きも、断食後には約半分に落ちていた。営業を続けるために、使っていない階の陳列台を少しずつばらしている状態だ。3日で筋肉が痩せるわけではないが、削られる向きははっきりしている。
脳の燃料が切り替わる——3日半で約4分の1をケトン体がまかなう
断食が3日目に入ると、脳のエネルギー源が切り替わり始める。健康な9人の脳を3日半の断食前後で画像検査した研究では、脳が使うブドウ糖の量が約26%減り、代わりに血液中のケトン体を断食前の約13倍取り込んでいた。この時点で脳のエネルギーのおよそ4分の1をケトン体がまかなっていた計算になる。脳が糖を少し譲る分、筋肉を崩してまで糖を作る必要はその分減っていく。
ただし3日目は不調も出やすい。食べ物からの塩分と水分が減るため血圧が下がり、立ち上がった時にふらつくことがある。ケトン体が増えると尿酸が体外へ出にくくなり、尿酸値が上がりやすくなる。痛風の発作を起こしたことのある人には、長い断食が発作のきっかけになり得る。血糖値や血圧の薬を飲んでいる人、65歳以上、持病のある人は自己判断で始めないでほしい。
断食明けの一口が重湯と梅干しである理由
72時間の断食後、筋肉がインスリンに応答する力は約6割落ちていた。体が脂肪を使う体制に深く入り、筋肉が血液中の糖を受け取りにくくなっている。この状態でどんぶり一杯のご飯や甘いものを食べれば、糖が血液の中に残りやすくなる。百貨店で言えば、3日ぶりの入荷にレジも売り場もまだ慣れていない状態だ。
道場で出された最初の食事は、おもゆに半分ほどの重湯と梅干し一つだった。山口さんは30分ほどかけて少しずつ味わうようにすすり、一口目を驚くほど甘く、温かく感じた。これは昔からのやり方であると同時に、インスリン応答が落ちた体への現実的な配慮でもある。断食明けは数日かけて普段の食事に戻すのが基本になる。
研究の数字が教えないこと
2024年に発表された研究では、12人が7日間の水断食を行い、血液中の約3000種類のたんぱく質を毎日調べた。2日目までの変化はわずかで、臓器にまたがる大きな変化がはっきり現れたのは3日目以降だった。7日間で体重は平均5.7kg減ったが、その6割余りは脂肪以外の部分で、食事を再開して3日ほどでほとんど戻った。
ここで触れた研究の多くは、若くて健康な人を対象にした小規模なものだ。50代や60代の体で同じ幅の変化が起きるのかはほとんど調べられていない。72時間断食を時々繰り返すことが長い目で体に良いのかも分かっていない。数字はグループの平均であり、一人ひとりの結果を約束するものではない。
守る仕組みと削られていくもの。その両方が同じ3日間に起きている。どちらか一方だけを見て断食を評価しないほうがいい。体に合うかどうか迷うなら、まず主治医と一緒に考えるところから始めたい。