「純粋な日本人」を探すと、体の中に静かに重なる三つの祖先の層
日本人の起源

「純粋な日本人」を探すと、体の中に静かに重なる三つの祖先の層

たとえば、祖父母の古いアルバムを開いたとき、自分と似ている顔を探すことがある。目元が似ている、輪郭が違う。家族の中で濃く出る特徴と、ほとんど出ない特徴がある。その違いは、遠い昔に海を渡ってきた人々の記録かもしれない。私たちの体の中には、少なくとも三つの層が重なっている。そう聞くと、自分の顔や体つきを、もう一度だけ見つめ直したくなる。

日本人の起源は、長い間「縄文人と弥生人」の二重構造で説明されてきた。しかし近年の研究は、その枠組みでは収まらない第三の層を示している。純粋な日本人という一つの起源は、どこにもなかった。そのことを、遺跡と遺伝子の記録からたどってみたい。

最初の一歩は、思ったより危うい場所から始まった

日本列島に人が住み始めた確かな記録は、およそ3万8000年前までさかのぼる。かつては70万年前の石器が見つかったと報じられたこともあったが、2000年にその多くが捏造だったと判明した。学会が自ら調査をやり直し、慎重に検証した末の年代が3万8000年前だ。古い年代ほど、確かめる手間がかかる。

当時の人々が通った道は、おそらく一つではなかった。北海道へつながる陸橋、対馬を経て九州へ渡る海路、台湾から琉球列島を北上する航路。特に三つ目の道は、世界有数の速い海流を横切る必要がある。2019年には、当時と同じ石斧で丸木舟を作り、台湾から与那国島まで225キロを45時間かけて漕ぎ切る実験も行われた。成功したとはいえ、星だけを頼りに海を渡るのは、今の私たちが想像するよりずっと不確かな旅だったはずだ。

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縄文の暮らしは、素朴なだけではなかった

海を渡った人々は、列島で土器を作り、狩りや採集をしながら長く暮らした。青森県の大平山元遺跡からは約1万6500年前の土器が見つかり、世界でも最古級とされる。縄文時代は1万年以上続いたが、その暮らしを「その日暮らしの素朴な人々」と決めつけるのは早い。

青森県の三内丸山遺跡では、約5900年前から4200年前まで大規模な集落が営まれ、多い時期には500人ほどが同時に暮らしていたと考えられている。豆を育て、遠くの地域と交易もしていた。縄文人の骨から遺伝子を読み解く研究では、周辺の東アジアの人々とはかなり異なる独自の系統だったこと、台湾の先住民との遺伝的なつながりを示す報告もあることが分かってきた。ただし、縄文人も一つの均一な集団ではなく、地域によって顔つきや暮らし方に違いがあった。

二重構造では説明できなかった、三つ目の層

縄文時代の終わり頃、稲作が列島に入り、朝鮮半島から新たに渡ってきた人々がいた。山口県の土井ヶ浜遺跡では、弥生時代の人骨が約300体見つかっている。縄文人より背が高く、大陸系の特徴を色濃く残した人々だった。弥生時代の渡来人は、東アジア系と北東アジア系の二つの遺伝的要素を持っていたことも分かっている。

1991年、人類学者の埴原和郎は、南から来た縄文系に北から来た弥生系が混ざったとする「二重構造モデル」を提唱した。長く教科書の定説だったが、2021年に古墳時代の人骨の遺伝子を調べた研究が、その数字を書き換えた。古墳時代にも、新たに東アジア系の人々が渡来していたのだ。つまり、縄文の層、弥生の渡来人の層、古墳時代の渡来人の層。今の本土日本人は、少なくとも三つの層でできている。

体の中のおよそ一割が、1万年以上前の記録

では、縄文人の遺伝子は今の私たちにどれくらい残っているのか。研究によって数字は少しずつ違うが、本土の日本人ではおよそ1割前後という報告が複数ある。北海道の縄文人と比べた研究では約13%、九州の縄文人と比べた別の研究でも1割前後だった。あなたの体のおよそ1割が、1万年以上前からこの列島にいた人々の記録だ。

この割合は列島内で均一ではない。アイヌの人々では縄文由来が約66%、琉球列島の人々では約27%という報告がある。遺伝的な近さで見ると、アイヌの人々と琉球の人々が最も近く、本土の日本人はその中間、やや琉球側に位置する。ただし、これはどちらの集団がより縄文らしいかを競うものではない。遺伝子の近さが、その人の民族や文化を決めるわけでもない。

「出戻り縄文説」は、分かりやすいけれど証明ではない

最近、「弥生時代の渡来人は、実は昔この列島を出た縄文に近い人々が戻ってきたのだ」という説が話題になることがある。いわゆる「出戻り縄文説」だ。確かに、縄文の系統は東アジアの人々の中でもかなり古い時期に枝分かれしており、大陸側の一部の人々と遠い祖先を共有している可能性はある。しかし、それは縄文人が大陸へ渡って再び戻ってきたことの証明ではない。遺伝子の一部が似ているからといって、「帰り」と呼ぶのは言い過ぎかもしれない。分かっているのは、弥生時代の渡来人の成り立ちが単純な一本道ではなかったということまでだ。分かりやすい物語と、証明された事実は同じではない。

私たちの体の中には、4万年前に姿を消したネアンデルタール人の遺伝子もわずかに残っている。3万8000年前に海を渡った最初の人々、1万年以上続いた縄文の暮らし、弥生と古墳の二度の大きな渡来。それらの層が重なって、今の自分がいる。家族の顔に、どの層が濃く出ているかは人それぞれだ。純粋な日本人というたった一つの起源は、どこにもなかった。あるのは、何度も海を渡ってきた人々の記録が静かに閉じ込められた、一人ひとりの体だ。

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