サーモン寿司が日本を制覇するまで──ノルウェーの「プロジェクト・ジャパン」と食文化の接点
文化政策

サーモン寿司が日本を制覇するまで──ノルウェーの「プロジェクト・ジャパン」と食文化の接点

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回転寿司で「サーモン」が不動の人気1位を守り続けて14年。マルハニチロの調査では2012年以来、最初に食べるネタ・最後に食べるネタ・コスパが良いネタでも首位だ。鮮やかな色と脂の乗り、癖のない味でマグロより安価。いまやサーモンのない寿司は想像しがたい。だが、この「国民的ネタ」が寿司として定着したのはわずか30年ほど前のこと。水産庁の公式見解でも「元々日本で鮭を生で食べる習慣はほとんどありませんでした」とあり、1989年のノルウェー政府報告書でも「極めて最近導入され、まだ広く受け入れられていない」と記録されている。

なぜ鮭は「寿司」になれなかったのか

江戸時代には北前船で北日本の鮭が大阪や江戸へ運ばれ、明治の給食でもおにぎり・漬物・塩鮭が典型だった。和食の朝食に焼き鮭が欠かせないのは、それほど広く食べられてきた証拠だ。しかし、寿司ネタとしての鮭は江戸時代の絵巻どこにも描かれていない。理由はアニサキスという寄生虫にある。サバ・イワシ・カツオ・マグロなどにも寄生するが、鮭では食用部位(筋肉)に入り込みやすく除去が困難だった。そのため日本人は鮭を食べる際、必ず加熱してきたのである。

「プロジェクト・ジャパン」──国家戦略としての食文化輸出

転機を作ったのは日本人ではなくノルウェー人だった。1960年代から養殖鮭の生産を拡大し、1970年代には欧州へ大量供給。次の市場として人口1億人の巨大魚食市場・日本に照準を定めた。1974年と85年には閣僚級を含む大規模視察団を派遣し、政府・業界団体が結集して「プロジェクト・ジャパン」を発足。3年で対日輸出倍増を目標に、ニシン・サバと並び鮭を主力輸出品に据えた。

プロジェクトの核心メンバーだったビヨルン・エリック・オルセン氏(元駐日ノルウェー大使)は、養殖鮭は管理された餌を与えられるためアニサキスがおらず、生食が安全であることを知っていた。しかし、業界関係者は「鮭は危険」という伝統的知見から試食さえ拒否した。オルセン氏は理屈での説得より先に、日本人との「調和」と「面子」を守る関係構築を最優先した。「プロセスをゆっくり進め、押し付けず、自然に発展させる」――それが主戦略だったという。

日本人の「甘えの構造」を読み解いた外交術

オルセン氏が参考にしたのは土居健郎『甘えの構造』だ。欧米では個人が基本単位だが、日本では「身内(家族・親友)」→「知り合い(先輩・後輩・仕事仲間)」→「他人」という同心円的構造で人間関係が組み立てられる。他人が個人と関係を深めるには、まず義理・礼儀・贈答・遠慮を通じて「知り合い」になり、人情が湧いて初めて「身内」に入れる。プロジェクト・ジャパンは、外国人でありながらこの「身内」に近づくことを目指した。日本ノルウェー協会やフレンドシップグループを通じ、祭りや旅行を共にし、共通目的と密な個人的接触を重ねた。

「サーモン」という新語の発明──認知の書き換え

並行して消費者向けの認知変革も仕掛けた。「寿司用の鮭だけ『サーモン』と呼ぶ」戦略だ。オルセン氏は「ノルウェー産について語るときは必ず『ノルウェー』と呼び、誰かが『これはシャケだ』と言えば『いや、これはノルウェーだ』と訂正した」と証言する。加熱用の「シャケ」と刺身用の「サーモン」を無意識に別物として認識させる、アップルが「iPhone」を「スマートフォン」と呼ばせないのと同種のブランディングだった。さらに『料理の鉄人』出演の石鍋裕シェフにサーモン料理を作らせ、全国で試食会を重ねた。

危機と転機──バブル崩壊と在庫の山

順調には進まなかった。1986年、ノルウェー本国でニシン価格が暴落しバブル崩壊級の不況。プロジェクト主導の漁業大臣が辞任、予算は3分の1に削減。87年には主力輸出品のニシン不漁で輸出量ゼロに。国内からプロジェクトへ厳しい目が向けられた。追い打ちをかけたのは養殖鮭の供給過剰だ。不況下でも生産は拡大し、需要が追いつかず大量在庫が積み上がった。業者は冷凍保存で価格回復を待ったが、在庫存在が市場に知れ渡ると「いつか放出され値下がりする」との観測が広がり、さらに価格下落。800社あった養殖業者は400社まで減り、関連銀行も打撃を受けた。

ノルウェー国内から「この大量の冷凍鮭を焼き用(シャケ)として日本に売り払えばいい」との声が上がり、マルハニチロと1万2000トンの交渉が別ルートで始まった。だがオルセン氏らは強硬に拒否した。「約束した新市場開発から撤退すれば面子を失い、築いた信頼が崩れる。『シャケ』と『サーモン』が混在すればブランドの混乱を招く」との判断だった。

「待つ」戦略が実を結ぶ

プロジェクト・ジャパンは在庫圧力に耐え、関係構築と「サーモン=生食安全」の認知浸透を続けた。90年代に入ると、回転寿司チェーンの拡大とともにサーモンがメニューに定着し始める。ノルウェー産養殖鮭の安定供給・低価格・安全性が、日本の外食産業のニーズと合致したのだ。現在、日本のサーモン消費量の大半はノルウェー産とチリ産が占め、寿司ネタとしての地位は揺るぎない。

政策・外交・文化が交差した30年

この事例は、一国の産業政策(ノルウェーの養殖振興・輸出戦略)が、相手国の食文化タブー(鮭の生食回避)と人間関係の文化構造(甘え・面子・身内/他人)を深く理解し、長期的な信頼構築を通じて克服した稀有なケースだ。「文化外交」という言葉では軽すぎる、産業・外交・文化人類学的知見が一体となった戦略的プロセスだった。サーモン寿司の裏には、ノルウェーの国家的危機と、日本人の心理構造を読み解いた外交官たちの粘り強い「待ち」の戦略があった。

いま回転寿司でサーモンを手に取るとき、その切り身には寄生虫リスクを除去した養殖技術だけでなく、二つの国の制度と文化が交わった30年の歴史が乗っている。食のグローバル化は、単なる物流や価格競争ではなく、相手の文化的文脈をどこまで尊重し、書き換えられるかという、極めて政治的で文化的な営みなのかもしれない。

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