「気づくと他人と自分を比べてしまう」「何を持っているかで自分の価値が決まる気がする」。そんなふうに疲れているとき、問われているのは幸福の土台をどこに置くか、という点です。19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、人生を左右する要素を三つに分け、そのうち他人と比較できないものに力を注ぐべきだと述べました。ここでは『幸福について』で示された考えをたどり、日常でどう受け止められるかを考えます。ただしこれは一つの哲学書の主張であり、心理学の実験で確かめられた結論ではありません。合うかどうかは人によって違います。
『幸福について』は何を扱った本か
『幸福について』は、ショーペンハウアーが晩年に発表した随想集『余白と補遺』に収められたエッセイの一つです。専門家向けの主著『意志と表象としての世界』とは違い、一般の読者に向けて平易に書かれました。今も各国で読まれ、入門書として選ばれることの多い一冊です。
著者の来歴も、この幸福論の背景になっています。1788年、現在のポーランドのダンツィヒに生まれ、商人の父からは実業の道を期待されました。少年期のヨーロッパ旅行で貧困や格差を目にしたことが、哲学へ進むきっかけになったとされます。主著はほとんど売れず、ベルリン大学では人気教授ヘーゲルの前で講義に学生が集まらず辞任。孤独な研究を続けたのち、63歳で出した『余白と補遺』が評判を呼び、晩年に注目を集めたと伝えられています。
運勢を分ける三つの要素
本書の冒頭では、人の運勢に差を生むものとして次の三つが挙げられます。
- その人が何者であるか——品性、人柄、健康、心の状態、知性などの内面的な価値
- その人が何を持っているか——家、車、衣服、資産などの所有物
- その人はいかなる印象を与えるか——他人からどう見られるか、評判や立場
重要なのは、最初の要素は絶対的で、後の二つは相対的だという整理です。内面の価値は誰かと比べるものではなく、他人に奪われたり値下げされたりしにくい。一方、所有物や評判は比較によって値打ちが決まり、環境や他人の評価によって変動します。だからこそ、変わりやすいものに力を注ぐより、自分で高め続けられるものに注ぐべきだ、というのが本書の中心的な主張です。
なぜ富や評価を追っても満たされにくいのか
本書では、財産への満足は絶対量ではなく相対量で決まるとされます。少ない財産でも不自由なく暮らせる人がいる一方で、あり余る財産を持ちながら満たされない人もいる。富や名声は海水のようなもので、飲めば飲むほど喉が渇く、というたとえが紹介されます。
あわせて、ソクラテスが店に並ぶ贅沢品を見て、自分には不要なものがたくさんあると語ったという逸話も引かれます。ここから読み取れるのは、足りないものを数える視線と、すでにあるものを数える視線では、同じ暮らしでも感じ方が変わるということです。
承認欲求とどう付き合うか
とはいえ、暮らしには最低限の経済的基盤が必要で、本書もそれを犠牲にすべきだとは述べていません。他人に認められたいという気持ちも、簡単に消せるものではありません。切り離すというより、それが判断の中心に居座らないようにする、というイメージが現実的です。
本書が強調するのは、あり余る富を得ても、それだけでは幸福になれるわけではないという点です。内面を磨くことを後回しにしてきた人が、余った時間を浪費や贅沢に費やしてしまう。知的な楽しみで満たされないと、生理的な欲求のような低次の欲求で埋めようとする。精神の貧しさが退屈を生む、という説明です。裕福な家の子が受け継いだ財産を使い果たすという話は、特定の誰かの実例ではなく、時代を問わずよくある例として一般論の形で示されています。
日常に置き換えると
本書の考えを日々の判断に落とすなら、たとえば次のようなことになります。健康や学び、身につけた技能など、他人と比べにくいものに時間を割く。所有物や評判は「あれば便利」くらいの位置に置く。承認欲求をゼロにするのではなく、それが大事な決断を支配していないかを時々見直す。いずれも効果を保証するものではなく、試してみて合わなければ別の基準を選んで構いません。
当てはまりにくい場面もあります。経済的に切迫しているときは、まず生活の基盤を整えることが優先されます。また、内面を磨くことが、つらい気持ちや体調の不調を直接やわらげるとは限りません。気分の落ち込みが長く続く場合は、哲学書だけで抱え込まず、医療や相談の窓口を頼ってください。
まとめ
幸福の土台をどこに置くかは、一度決めたら終わりというものではなく、状況に応じて置き直していくものだと本書は示唆します。比べられないものに時間を使えているか。ときどき確かめる、その程度の付き合い方で十分かもしれません。