友人が精神的に沈んでいるとき、「自分は壊れていない、ただ正直になっただけだ」と繰り返し語っていたという。周囲が「壊れている」と見なしても、本人はそう受け取らない。その言葉を聞いた瞬間は受け流したが、ひとりになったときにふと疑問が湧いた。「壊れてちゃいけないのだろうか」と。
人間誰しも、何かしら「壊れている」ところを抱えている。それを「壊れている」とレッテルを貼られると社会的に生きづらくなる気持ちも分かる。けれど、否定ばかりしていては前に進めない。「壊れてたっていいじゃないか」――その一言が、心の重荷を少し降ろすきっかけになるかもしれない。
重い思いは沈み、軽い思いは浮く
「軽い考えの人がうまくいっております。重いものはね、沈んでく感じがする」と語る。仕事に熱を入れ、強い思いを持つことは一見素晴らしく見える。しかし、思いが重すぎると沈んでいく。執着しすぎると身動きが取れなくなる。
「ダメだったらダメでまた変えればいいもんぐらいの人っていうのはうまくいっているようような感じがしますね」。軽やかに「これ楽しそう、やってみよう」と動ける人が、結果として遠くまで行けている。思いも、人への執着も、重すぎれば沈む。適度な軽さを持つことが、生き抜くコツなのかもしれない。
仕事で心を壊す前に――「まずやめな」という選択肢
「給料取れって言うけど、その前にあなたの精神が壊れちゃうよ」。一度壊れると、元に戻すのに相当な時間がかかる。毎日が幸せではなく、ただ痛みを我慢して働いているなら、その給料に見合う話ではない。
- 命がけで仕事をして「もうあの世に行きたい」ほど追い詰められているなら、やめて自由になれ
- その自由の中で「どうやって生計を立てようか」に命をかけて向き合ったほうが建設的だ
- お金がなくても、なんとか生きていけるものだ
生活のために働くのは当然だが、生物としての根源的な欲求――安心して眠り、食べ、快適な温度で過ごすこと――が満たされない労働なら、優先順位を見直すべきだ。
「意味なんてない」と思える自由
「僕はもうあらゆることが意味が元々ないと思ってて、死ぬまでの暇つぶしだと思ってるんです」。生きる意味、働く意味を問い続けて苦しくなるなら、最初から「意味なんてない」と割り切ってしまうのも一つの手だ。
生涯の仕事だと意気込むのは素晴らしい。けれど、苦しくなったときに「そんな大したことじゃないんだよな」とガス抜きができる考え方を持っていなければ、走り続けるのはきつい。「意味ないぜ」とどこかで信じられると、肩の力が抜ける。
ネガティブは宝物――自分と向き合うための道具
「ネガティブってすごく宝物っていうか、自分と向き合うことができる人だと思うんで」。ポジティブだけの人は、実は苦手だという。ネガティブな面を持たない人に悩みを相談しても「大丈夫大丈夫、前向いて歩いてればどうにかなるから飯食って風呂入って寝ようよ」で終わってしまう。
ポジティブでもありネガティブでもある――両面を持つ人が、本当に信頼できる。ネガティブは欠点ではなく、自分と向き合うための貴重な感受性なのだ。
人間関係の悩みは「贅沢」だと思い直す
「そもそも人間関係で悩むってこと自体が結構贅沢なの」。すべて自分ひとりでやろうと思えば、家も建て、食料も確保し、誰にも文句を言われずに生きられる。けれどそれは途方もない労力だ。今、誰かと関われていること自体が、すでに恵まれた状況なのかもしれない。
「なんか嫌な職場にいる。別にどうでもよくねって俺はなると思うんすよね」。そこまで割り切れれば、職場の不条理も「どうでもいい」と流せる。芸人として終わったかもしれないと笑いながら語るその姿勢こそが、重荷を降ろす秘訣なのかもしれない。
状況を変えるのは「自分が一歩踏み出すこと」だけ
どれだけ悩み、泣き、考え続けても、状況は変わらない。変えられるのは、自分が前を向いて一歩踏み出し、何かを切り開いていくときだけだ。
- その道を諦めて、別の道へ進むのも一歩だ
- 諦めずにもう一度やり直すのも一歩だ
- 何にせよ、自分が行動に移すことが一番大事だ
挫折したときの立ち直り方を問われても、答えはシンプルだ。動くこと。それだけだ。
壊れていてもいい。重い思いを手放してもいい。意味なんてなくたっていい。ネガティブな自分も受け入れていい。安心して眠れる場所を、自分で選んでもいい。生きづらさの正体は、自分で自分を縛っている「こうでなきゃいけない」という呪いかもしれない。呪いを解く鍵は、誰でもない、あなた自身の「一歩」の中にある。