先のことを心配しても、運命そのものは動きません。変えられるのは、起きた出来事をどう受け取るかと、そこから何をするかです。ただし、考え方を変えるだけで人生が変わるわけではありません。順番があります。
すべてを奪われても残るもの——フランクルの体験から
ヴィクトール・フランクルはオーストリアの精神科医でした。第二次世界大戦中にナチスによって家族とともに強制収容所へ送られ、両親や妻、兄を失っています。彼自身は数年にわたって複数の収容所を移されながら生き延び、その経験を『夜と霧』という本にまとめました。
その本のなかで、彼は次のような趣旨のことを書いています。人は着る物も食べ物も家族も、命さえも奪われることがある。けれど、どんな状況に置かれても、それにどう向き合うかを選ぶ自由だけは奪えない、と。
同じ収容所、同じ空腹、同じ死の気配のなかで、心が折れていく人と、内側に誰にも壊されない場所を築く人がいました。違いは環境ではなく、心の向け方だった——それが彼の体験から見えたことだと紹介されています。
「つらい現実をなかったことにする」のではない
ここにはよくある誤解があります。考え方を変えるというのは、問題がないふりをすることではありません。お金がないのに「ある」と言い張ることでも、傷ついたのに「痛くない」と言い張ることでもないのです。
現実をしっかり認めたうえで、より力の出る見方を選ぶ。起きたことは泣いても怒っても変わりませんが、どう向き合うかは選べる。この区別が土台になります。
たとえば、厳しい職場を「毎月きちんと給料を払ってくれ、ここで身につけた経験はどこでも役に立つ」と見直すことはできます。ただし、これは働き続けるべきだという話ではありません。見方を変えても苦しさが減らない職場なら、離れるという選択もあります。
どん底から動き出した人がやめたこと
J.K.ローリングは、20代の頃にポルトガルで英語を教え、現地で結婚して娘をもうけました。しかし結婚生活は厳しいもので、乳児を抱えてイギリスのエディンバラへ戻ります。仕事もお金もなく、頼れるのは国の生活支援だけという時期がありました。後に本人は、当時の自分は知っている誰よりも大きな失敗者だと感じていた、という意味のことを振り返っていると伝えられています。
転機は、眠る娘の顔を見つめていたときに訪れたとされます。誰かを恨んでも、自分の選択を悔やんでも、今の状況は変わらない。できるのは現実を受け入れて、この子との暮らしを少しでも良くすることだ、と。そこから問いが「どうして私ばかり」から「私に何ができるだろう」へ変わり、温めてきた物語を書き始めます。娘が眠っている間にカフェでノートを広げ、書き上げた原稿は10を超える出版社に断られ、それでも手を入れて送り続けました。
後に彼女は、這い上がったというほど大げさなことではなく、ただ下を見るのをやめただけ、という意味のことを話したと紹介されています。
穴の底で、下ばかり見ない
穴に落ちた人は、そこに座り込んで深さばかりを見つめてしまいがちです。見れば見るほど深く感じられ、登ることさえやめてしまう。でも、下を見るのをやめて上を見上げ、手がかりになりそうな場所を探して少し登る。それを繰り返すうちに、気づけば外に出ている——という見方です。
仮の例として、転職活動で不採用が続いたとします。落ちた理由ばかり想像して応募を止めてしまうか、書類を一行直して一社だけ出すかで、数か月後の景色は変わります。大きな決断より、手が届く範囲の一手です。
不安の多くは「二度目の苦しみ」
同じようにリストラされても、1か月落ち込んで動けない人もいれば、数日で気持ちを切り替えて次を探す人もいます。性格や運の違いと片づける前に、知っておきたい見方があります。
出来事そのものの衝撃は、数日から長くても数週間で薄れていく——そう説明されることがあります。人を何年も同じ場所に縛りつけるのは、その後に頭の中で何度も繰り返す「二度目の苦しみ」だ、というわけです。代表例が、まだ起きていない未来を先回りして怖がること。月末でもないのにノルマを達成できなかったらどうしよう、病気でもないのに重い病気になったらどうしよう、と想像を重ねる時間です。
ただし、これは個人差の大きい話です。つらい出来事の影響が自然に薄れるとは限りません。悲しみや不安が長く続く、眠れない、食べられない、日常が回らないといった状態があるときは、考え方の工夫ではなく、専門家や相談窓口の力を借りる領域です。気合いで乗り越える話として受け取らないでください。
「念」を変えるのはスタート、電気にあたるのは行動
ここでいう「念」は、心に浮かぶ物の見方、考え方のことです。考え方はスイッチのようなもので、入れても電気が流れなければ明かりはつきません。その電気にあたるのが行動です。
ベッドに寝転んで動画を眺め、「明日から変わるぞ」と思って翌日も何も変わらない。それは考え方を変えたのではなく、自分に酔っているだけ、という指摘があります。手軽な励ましを見るほど満足して動けなくなる、という感覚に心当たりがある人もいるかもしれません。
試すとすれば、この三つ
- 紙に「起きた事実」と「頭の中の解釈」を分けて書く。事実は、誰が見ても確認できることだけにする。
- 問いを「どうして私ばかり」から「私に今できることは何か」に置き換える。
- 5分で終わる一手を一つ決めて、その日のうちにやる。
どれも効果を保証するものではありません。しっくりこなければ、合う方法を探せばいいだけです。動けない日が続くなら、休むことも選択肢に入れてください。
心配の時間を、今日の一手に
運命そのものは、心配しても動きません。動くのは、出来事の受け取り方と、そこから踏み出した小さな一歩です。まずは今日、頭の中の心配を一つ紙に書き出し、事実と解釈に分けてみる。そこから手がかりを探すだけでも、穴の底で下ばかり見ていた視線は、少し上に向きます。