南アフリカの乾いた草原で、ミーアキャットの群れが餌を探している。枝に止まった鳥が、空からタカが近づいたときの警戒の声を上げた。群れが巣穴に逃げ込むと、鳥は舞い降りて置き去りの餌をくわえていく。空にはタカなどいない。鳥は嘘の声で餌を手に入れた。
鳥の嘘は餌のためだった。では、人はなぜ毎日のように嘘をつくのだろう。得をするためだけなら、もう少し分かりやすい。けれど、日々の小さな嘘の多くは、お金や利益とは違うところに向けられている。
1週間の記録に表れた、日常の嘘の中身
アメリカの大学生77人と大人70人が、1週間、会話の中でついた嘘を日記に記録した研究がある。相手にわざと本当でないことを思わせようとしたら、どんなに小さくても嘘として書く。大学生は1日に2回、大人は1日に1回、嘘をついていた。会話の回数で見ると、大学生は3回に1回、大人は5回に1回、嘘の混じった会話をしていた。
最も多かったのは、自分の気持ちについての嘘だった。本当より好きなふりをする、楽しいふりをする、気にしていないふりをする。大学生の嘘の4つに1つは、こうした気持ちをよく見せる嘘だった。反対に、嫌いなふりをする嘘は3%ほどしかない。そして嘘の8割余りは、少なくとも一部が自分自身についての嘘だった。自分のための嘘は相手のための嘘のおよそ2倍ある。ただし、自分のための嘘の多くはお金や得のためではない。優しく見せる、賢く見せる、恥をかかないようにする。自分の見え方を守る嘘のほうがずっと多かった。
相手のための嘘は、たとえば具合の悪そうな人に「元気そうだね」と言うようなものだ。記録した人たちは自分の嘘を大したことではないと答えた。前もって考えることも、ばれる心配もあまりしていない。それでも、嘘をついている間はその前より落ち着かず、言い終えた後もその気持ちは消えていなかった。嘘の混じった会話は、嘘のない会話より楽しくなく、打ち解けないものだった。
嘘が増える場所と減る場所
別の大学生28人に1週間、会話と嘘を記録してもらうと、嘘が最も多かったのは電話で、最も少なかったのはメールだった。書いた言葉は後から読み返せる。それが嘘を減らしたのではないか、というのが研究者の見方だ。その場で返さなければならない声のやりとりでは、とっさに自分を守る言葉が出やすい。一方、文字には少しの間が生まれる。
嘘をつく力は、他者の心を知る印
嘘は人間だけのものではない。冒頭の鳥も、他の動物が餌を手にしたときに同じ警戒の声を出し、相手の8割余りを逃がして餌を奪っていた。この鳥は狙う相手の警戒の声まで真似る。同じ嘘の声を繰り返すと相手が逃げなくなるため、声の種類を変えることまでしていた。嘘の声が効くのは、普段の声が本当だからだ。いつも嘘なら誰も逃げない。
人間の子どもは、いつからこの力で嘘をつき始めるのか。ダーウィンは息子の育ちを細かく記録していた。2歳7か月の頃、息子は食堂から妙に目を輝かせて出てきた。見に行くと、止められていた砂糖を食べていた。2週間後には、丸めた前かけを抱えて「中は空っぽだ」と言い張った。前かけにはピクルスの汁のしみがあった。ダーウィンはこれを、よく考えた末の騙しだと書いた。その子は一度も罰を受けたことがなく、怖くて嘘をついたのではないとダーウィンは考えた。
カナダで2歳と3歳の子ども65人に、後ろのおもちゃを振り向かないで当てる遊びをしてもらった実験がある。3つ目のおもちゃで大人が部屋を離れると、子どもの8割が振り向いて覗いた。戻ってきた大人に「覗いた?」と聞かれると、2歳児の多くは正直に答えた。嘘をついたのは4人に1人ほどだった。ところが3歳になると、覗いた子の多くが「覗いてない」と答えた。しかし、おもちゃの名前を聞かれると、嘘をついた子の4人に3人は名前を言ってしまった。覗いていないなら名前は分からないはずだが、そこまでは頭が回らない。
中国では3歳の子どもたちがお菓子を取り合う遊びをした。お菓子の入っていないコップを指させばお菓子がもらえるのに、何度やってもお菓子のある方を指してしまう子たちがいた。半分の子に人の考えや気持ちを当てる練習を12日のうちに6回してもらうと、お菓子の入っていないコップを指すようになった。粘土の形や物の数の練習をした子たちには、その変化は見られなかった。嘘は、相手の頭の中に自分とは違う中身があると分かり始めた印の一つと考えられている。
罰の厳しさと大人の嘘が、子どもの嘘を変える
西アフリカのある国に、同じ町の中でしつけの違う二つの私立学校があった。一つ目の学校では鉛筆を忘れただけでもみんなの前で棒で叩かれる。学校の記録では、子どもたちは1日に40回ほどこうした罰を目にしていた。もう一つの学校では、罰は隅で反省させるか叱るまでで、重い時は校長室に呼ばれる程度だった。
二つの学校の3歳と4歳の子ども84人に、あのおもちゃの覗き見実験をしてもらうと、振り向いて覗いた子はどちらも8割ほどだった。しかし、覗いたことを隠した子は、罰の軽い学校で56%、罰の厳しい学校で94%だった。罰の厳しい学校の子は、おもちゃの名前を聞かれても知らないふりをうまく続けた。ただし、子どもを二つの学校にくじで分けたわけではない。学校同士の他の違いが影響した可能性は残る。
アメリカでは、大人がわざと子どもに嘘をついてから同じ遊びをしてもらう実験がある。隣の部屋にお菓子がたくさんあると誘い、部屋に入ってから「あれは嘘でした」と打ち明ける。5歳から7歳の子では、嘘をつかれた子の8割近くが覗き、覗いた子の9割近くが「覗いてない」と嘘をついた。嘘をつかれなかった子はどちらも6割ほどだった。3歳と4歳では差は出なかった。
家庭ではどうか。アメリカの親127人に尋ねると、74%が「嘘はいけない」と子どもに教えていた。ところが、同じ親の78%が、子どもに言うことを聞かせる場面で自分も同じような嘘をついたと答えた。「泣かないとお巡りさんが来るよ」「野菜を食べないとお化けにさわられるよ」。日本なら「鬼が来るよ」だろうか。シンガポールの若い大人およそ380人に、子どもの頃親から受けたこうした嘘を思い出してもらうと、多く思い出した人ほど今親に嘘をつくことが多く、心の不調も多いという結びつきが見られた。ただし、これは思い出してもらった時点での関連であり、嘘をつかれたからそうなったとまでは言えない。
親が子に嘘をつく話は古くからある。法華経というお経に、燃える家の中で遊ぶ子どもたちを父親が救い出す例え話がある。父は門の外に羊や牛の引く車があると呼びかけ、子どもたちを外へ誘い出した。お経の中で仏は問いかける。この父は偽りを言ったことになるのか。弟子は「なりません」と答える。子どもの命を救うための手立てだったからだ。「嘘も方便」という言葉はこの話から来たという説が有力だ。大人の嘘は、子どもを守ることもあれば、子どもに嘘を教えることもある。
ばれない場面で、人はどこまで嘘をつくか
スイスの大学生およそ390人に、一人ずつサイコロを振ってもらい、出た目の数だけお金がもらえる実験がある。ただし6が出たら0。出た目は本人しか見ない。正直なら、どの目も6人に1人ずつ、17%ほどになるはずだった。ところが、5と答えた人は35%。最も多くもらえる数が本来の2倍に増えていた。不思議なのは4で、4と答えた人も27%に増えていた。誰にも分からないなら5と言えばいいはずなのに、なぜ4で止めたのか。
この実験の見立てでは、最も多くもらえるように嘘をついた人は2割ほど、正直だった人は4割ほど、他は少しだけ嘘をつく人だった。同じような実験は世界中で繰り返され、90の実験をまとめると、人は思われていたよりずっと嘘をつかなかった。なぜばれないのに少ししか嘘をつかないのか。まとめた研究者たちは二つの理由をあげている。自分は正直でいたいという気持ちと、正直な人だと見られたい気持ちだ。5と言えば疑われるかもしれない。4なら本当に出たのかもしれない。そう見える数を選んだと考えられている。
ただし、「正直さを思い出させればごまかしが減る」といった説は、大規模な追試では再現されなかった。書類の一番上に名前を書かせると正直になるという有名な論文も、2021年に取り下げられている。人は完全に正直でも、とことん嘘つきでもない。少しだけ嘘をつき、自分は正直だと思っていたい。その微妙な加減が、日々の嘘の正体に近い。
毎日の小さな嘘は、得をしたいからではなく、その場の自分と相手を守るための調整のように見える。気持ちを隠し、見え方を整え、会話を波立たせない。けれど、その会話は嘘のない会話より少し楽しくなく、打ち解けない。子どもは嘘をつくことで他者の心に気づき始めるが、罰の厳しさや大人の嘘は、その嘘を手際よく、そして増やす方向に働くことがある。完全に正直でいるのは難しくても、なぜその場で本当のことを言いにくかったのかを振り返る余白は、次の会話を少しだけ変えるかもしれない。