朝のニュースで聞いた論点を、午後には自分の意見のように話していた。SNSで何度も目にした言葉を、あたかも自分で考えたかのように口にしていた。そんな経験はないだろうか。
ここで問題になるのは、他人の意見に合わせていると自覚できるかどうかではない。エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で指摘したのは、同調していることにすら気づいていない状態だ。本人は自由に考え、自由に選んでいるつもりでいる。けれど実際には、誰かが用意した答えを自分の判断だと思い込んでいる。
この記事では、そうした「借り物の意見」がどう生まれるのかを整理し、日常の中で自分の考えを点検する小さな習慣を紹介する。
結論が先で、理由はあとから付いてくる
フロムが注目したのは、意見が生まれる順番の入れ替わりだ。本来なら、理由を検討した結果として結論を選ぶ。ところが、先に誰かの意見を受け入れ、その結論を自分の意見らしく見せるために理由を並べる人がいる。
たとえば、ある出来事についてニュースで示された意見を受け入れる。その後、その出来事について自分の意見を持たなければならないと感じ、誰かの意見を受け入れたことを忘れて「自分で考えてこの答えにたどり着いた」と信じる。理由を尋ねられれば説明できる。しかし、説明がうまいことと、その理由に従って判断したことは別だ。
本人は嘘をついているつもりはない。本当に自分の意見だと思っている。ここに厄介さがある。結論と理由の順番を意識しない限り、自分の頭で考えたかどうかは見えにくい。
従順さは家庭や学校で少しずつ身につく
自分で考えない人間は、ある日突然生まれるわけではない。生育の過程で、従うほうが安全だと学ぶ場面が重なる。
アリス・ミラーが「毒になる教育」と呼んだ養育では、子どもの好奇心や自分で選ぼうとする意思が、反抗やわがままとして扱われる。「余計なことをしなくていい」「言われた通りにしなさい」という言葉の背後で、大人の判断に疑問を持たず従うことが求められる。子どもは、愛されたいなら従い、認められたいなら自分の気持ちより親の望みを優先する、という条件を学んでいく。
カークパトリックも同様の指摘をしている。自己主張が始まる時期に、自分で選ぶことや意思を示すことが権威への挑戦とみなされると、子どもは「うまくやるには従えばいい」と学ぶ。この場合の従順さは、単に大人しい性格の表れではなく、大切な関係を失わないための振る舞いでもある。
学校でも似た訓練が続く。ジョン・テイラー・ガットは、長時間静かに座り、指示に従い、認められた答えを繰り返す学校教育を批判した。評価されるのは、教師の求めることを理解して正しく再現できる生徒だ。疑問を持ち続ける生徒や、決められた課題より自分の関心を追いかける生徒は、授業を乱す厄介な存在として扱われやすい。
職場でも、問題を指摘すると指摘した本人だけに余計な仕事が増える、上司に従えば評価される、という条件があれば、納得できるかどうかより求められた答えを返すほうが得になる。周囲に合わせている自覚があるうちはまだよいが、その自覚まで失われると、他人の意見を自分の判断だと思い込みやすくなる。
今日からできる小さな点検習慣
自分の意見を取り戻すために、大げさな訓練は必要ない。日常の中で、判断の出どころを確かめる小さな習慣をいくつか試してみるといい。
- 結論と理由を書き分ける。何かの意見を言う前に、結論を先に書き、そのあと理由を書く。理由が結論より先にあったか、あとから付け足したかを確かめる。最初にその結論をどこで見たかも合わせて記録すると、出どころに気づきやすい。
- 同じ情報の出所をたどる。ニュースで聞き、SNSでも見て、知り合いも同じことを言っていた。そのとき、それぞれが独立した情報源か、同じ発信源を繰り返しているだけかを確認する。繰り返し触れると本当らしく感じる「真実性の錯覚」があるため、出所の確認が役に立つ。
- 反対意見を一つ探す。ある意見に納得しそうになったら、あえて反対の立場の説明を一つ読む。沈黙の螺旋と呼ばれる現象では、声の大きい側ばかりが見え、黙っている人の意見は見えにくくなる。反対意見を探すことで、世の中の見え方の偏りを少し補正できる。
- 従っている場面を記録する。職場や家庭で「本当は納得していないのに、安全のために黙った」と感じた場面を、一言だけメモする。自分を責めるためではなく、どの条件で従順さが引き出されるのかを知るための記録だ。
これらの習慣に効果を保証するものではないし、すべてを毎日続ける必要もない。合わないものは外してよい。過去の養育を振り返る作業がつらく感じるときは、無理に掘り下げず、信頼できる人や専門の相談先に話すほうが安全な場合もある。
完璧に自分の頭で考える必要はない
周囲と同じ意見を持つこと自体が問題なのではない。意識して納得したうえで同じ結論を選ぶのと、他人の結論を自分の意見だと思い込むのは別だ。
一日に一度、結論と理由の順番を確かめるだけでも、借り物の言葉に気づくきっかけになる。自分の意見が本当に自分のものかどうかを、少しずつ点検していく。それだけで、情報に流される感覚はいくらか軽くなるはずだ。