数学者・鶴崎修功氏が語る、母から受け継いだ「勉強の意味」についての言葉である。その核心は、学びを単なる知識習得ではなく、自分と大切なものを守るための「防御力」として捉える点にある。
「騙されないため、殺されないためにするんだぞ」
勉強は、あの、騙されないため殺されないためにするんだぞっていう。
鶴崎修功氏の母の言葉
母が繰り返し伝えていたこの言葉は、一見すると過激に聞こえる。しかし鶴崎氏は「深いな」と受け止め、「やっぱ防御力」だと解釈する。通訳を学ばずに怪しい論理に巻き込まれれば騙される。学びとは、そうしたリスクから身を守る盾なのだ。
「殺される」の意味──物理的ではない、もっと身近な喪失
殺されるっていうのは物理的じゃなくても財産を奪われるとか大事な人がとかっていうことも殺されるって表現にも入ってるみたいな。
鶴崎修功氏
「殺されない」は比喩である。財産を失う、大切な人を失う、信頼を裏切られる──それらすべてを「殺される」と表現した母の言葉には、人生で直面する不可逆的な損失への警鐘が込められている。それくらいの意気込みで学びなさい、という親心でもあった。
数学が「盾」になった瞬間──金銭トラブルを回避した実感
鶴崎氏はプライベートで「数学をやってて助かった」「ピンチを切り抜けた」経験があるかと問われ、即座に「お金関係」を挙げる。
お金をどうやって増やすかって通すとかあるじゃないですか。そういう時にやっぱ自分が数やってきたから結構安心してあのできますよね。こいつ怪しいなみたい。結構わかるっていうか。
鶴崎修功氏
投資話や金融商品の勧誘において、数理的思考が「怪しい」を見抜くフィルターとして機能したのだ。専門知識としての数学ではなく、論理的に検証する習慣そのものが、実生活での防御力になっている。
学びは「映画の主人公」のような救いになる
対談相手が「映画の主人公みたい」「それが救ってくれたのが学だみたいなね」と返す場面がある。派手な活躍ではない。静かに、確実に、自分を守る力としての学び。それが母の言葉が指し示していた「防御力」の正体なのかもしれない。
勉強とは、誰かのためでも、試験のためでもなく、自分と大切なものを守るための静かな備えである。母の言葉は、その本質を突いていた。