スキルアップ思考が楽しさを減らす仕組み
なぜ、学ぼうとするほど休みがつまらなくなるのでしょうか。研究では、余暇を「無駄」と見る視点が、その余暇の楽しさ自体を下げることが示されています。
ある研究では、参加者に「余暇は無駄だ」という内容の記事を読んでもらった後、娯楽動画を見せて楽しさを評価してもらいました。すると、記事を読んだグループは、読んでいないグループより動画を楽しめなかったと報告されています。余暇を無駄だと思うだけで、同じ動画の感じ方が変わってしまうのです。
また、目的が変わると体験の楽しさも変わります。別の研究では、写真を「自分の思い出のため」に撮るグループと「他人にシェアするため」に撮るグループに分けて、体験全体の楽しさを比べました。すると、シェア前提で撮影したグループのほうが楽しさの評価が低くなりました。景色を見るよりも、どう見せるかを考えることに注意が向くためです。
記録やシェアは記憶を強くしない
私たちは記録すれば記憶に残ると考えがちですが、必ずしもそうではありません。美術館で展示を撮影しながら見学した人のほうが、ただ観察した人より、後で展示の細部や場所を覚えていないという研究結果があります。体験中に記録やシェアをすると、その場の注意や記憶の作り方が変わり、体験そのものの残り方が弱くなることがあるのです。
報酬が「好き」を弱めることもある
さらに、外側の成果や評価が、好きでやっていた理由を塗り替えてしまうこともあります。絵を描くのが好きな子どもたちに「良い絵を描いたら賞状をあげる」と約束して絵を描かせた実験では、後日の自由時間に自発的に絵を描く時間が、報酬を約束されなかったグループより大きく減りました。好きだからやるという気持ちが、何かを得るためにやるという気持ちに置き換わってしまうのです。これは過剰正当化効果と呼ばれる心理現象の一例です。
休みに評価を持ち込むと回復しにくい
休日まで義務や評価、締め切りを持ち込むと、気持ちが休まらなくなります。仕事から気持ちを切り離せるかどうかと、燃え尽きや疲弊、生活満足、睡眠との関係を調べた研究では、切り離せる人ほど疲れが低く、満足感や幸福感が高い傾向が示されています。この研究は仕事を対象にしていますが、休みの時間に義務や評価を持ち込むと回復しにくいという構造は、勉強や趣味にも共通します。
休みの時間なのに気持ちが休まらない、勉強しているのに満たされない、将来のために動いているはずなのに今が面白くない。そう感じるときは、努力が足りないのではなく、人生の中にスキルアップや回収を求める視点が入り込みすぎている可能性があります。
人生を「回収の場」にしないために
勉強の目的は、理解し、保持し、再現することです。一方、人生の目的は必ずしも何かを残すことではありません。ただ楽しむこと、ただ休むこと、誰にも見せずに過ごすこと。本来それで十分なはずです。
哲学者のバートランド・ラッセルは、余暇を持てることが文明の産物だと述べたとされます。働けること以上に、きちんと休み、楽しめることを大切にする視点です。スキルアップは選択肢を広げる道具である一方、楽しみを削り、休みまで仕事に変えてしまう面もあります。
もし最近、前より人生が楽しくないと感じるなら、学びや成果を求める視点を少し脇に置いて、「何も回収しない時間」を一日のどこかに戻してみてください。人生を人生として取り戻すための、小さな区切りになるはずです。