「給料泥棒」と呼ばれても席が守られる理由
朝から窓際の席で新聞を広げ、昼過ぎまで読み続け、それでいて自分より高い給与を受け取っている同僚。誰もが一度は見かけたことがある光景ではないだろうか。一見すれば「給料泥棒」とも呼べるその存在を、会社はなぜクビにしないのか。答えは意外なところにある。本人の能力ではなく、「あの席に座り続けていること」自体が組織にとって機能しているからだ。
この一見不可解な現象を解きほぐす鍵は、50年分の新聞記事、アリの巣の観察記録、そして45年前の経済学論文の3つに散らばっている。生物学と経済学の視点を重ね合わせると、「働かないおじさん」ならぬ「働かない席」の正体が見えてくる。
アリの巣に見る「働かない2割」の正体
北海道大学の長谷川英介らの研究グループは、150匹ずつのアリを8つの巣に分け、個体ごとにマーキングして1ヶ月間、1日3回の観察を行った(長谷川英介ほか、2013年頃)。結果、常時2〜3割の個体がほとんど働かないことが判明した。「働かないアリを追い出せば効率的な巣になるのでは」という直感は、しかし裏切られる。よく働く上位30匹だけを残しても、1ヶ月後にはまたその中から「働かない」個体が現れる。逆に「働かない」個体だけを集めても、働き始める個体が出てきて、元の巣とほぼ同じ比率に落ち着くのだ。
長谷川らはこれを「腰の重さ(活動閾値)の個体差」と説明する。腰の軽い個体が先に仕事を引き受けてしまうため、重い個体には順番が回ってこないだけだ。では「腰の重い」個体は無駄なのか。コンピュータシミュレーションで検証すると、全員が同じ閾値の巣では仕事が来た瞬間に全員が動き、全員が同時に疲れて休む。その間に「止められない仕事(卵の世話など)」が滞り、巣は崩壊する。一方、閾値にバラつきがある巣では、働き手が疲れて休むと、それまで動いていなかった個体が動き出して穴を埋める。この「予備」のおかげで、巣は長く存続できた(長谷川英介ほか、同)。
「予備は平時には何もしないから、いる意味が外からは見えない。働き手が倒れた日に初めてわかる」
アリの巣における「働かない個体」は、サボりではなく「疲労した仲間と交代するための予備」として機能していたのだ。
給与は「後払い」――ラジアーの理論が示す契約の正体
人間の会社では、この「予備」の役割を別の仕組みが担っている。アメリカの経済学者エドワード・ラジアーは1979年の論文「なぜ定年があるのか」で、給与は労働の対価としてその都度支払われているのではなく、「若いうちは働きより少なく払い、年を取ってから働きより多く払う」生涯賃金の後払いであると指摘した(Lazear, 1979)。
この仕組みには二つの狙いがある。
- 若手が「後でもらえる分」を失いたくないため、監視がなくても真面目に働くインセンティブになる
- 会社を辞めにくくする「拘束装置」として機能する
しかし、年を取った社員には働きより多く払い続けているため、永遠に続ければ会社が持たない。そこで「打ち切りの日付」を設ける。それが定年だ。ラジアーの理論では、定年は「会社が社員を追い出す日」ではなく、「後払い分の返済を終える日」と定義される。
日本の企業はこの仕組みを特に色濃く運用してきた。公立保育所の保育士を対象とした調査では、45歳以上の給与は30歳までの1.6倍を超えていたが、一人当たりの担当児童数(働きの代理指標)は年齢とともに増えていなかった(厚生労働省関連調査等)。窓際の彼にも25歳の頃があった。夜9時まで残業し、土曜日も出勤し、一番電話を取った。その時、会社は彼の働きより安く払い、差額を帳簿に「後で返す約束」として計上していた。今彼の給与明細にある数字の一部は、今の働きへの対価ではなく、若き日の「貸し付け」の返済なのだ。
ピーターの法則と「売れる営業」が「ダメな課長」になる理由
では、なぜ優秀だった社員が「働かないおじさん」になるのか。1969年、教育学者ローレンス・ピーターは「階層社会では全ての人は昇進を重ね、各々の無能レベルに到達する」と記した(ピーター&ハル、1969)。半分冗談とされたこの「ピーターの法則」は、実証研究でも裏付けられつつある。
アメリカ131社、約4万件の営業職記録を分析した研究では、売上が同僚の2倍だった人は昇進確率が約15%高かった(Benson et al., 2019)。会社は確かに「一番売った人」を上げている。しかし、管理職になった後のチーム成績を見ると、営業時代に売上が高かった人ほど、率いるチームの成績を下げていた。売上が同僚の2倍だった課長のチーム成績は、平均で7.5%低かったのだ。「売る力」と「人を動かす力」は別物だった。
それでも会社は一番売った人を課長にする。なぜなら「一番売れば上に行ける」というルール(ご褒美)が若手の動機づけになっているからだ。課長になった彼は現場から離れ、会議資料を作り、部下の数字を数え、上の顔色を読む――どれも初めてで、得意でない仕事だ。若い部下に売り方を教えようとしても、自分は「足で稼いだ」タイプなので、電話で売る部下のどこが悪いのかわからない。チーム成績が落ちても、会社には課長を営業に戻す仕組み(降格人事)がほぼない。代わりに仕事が減らされ、45歳で部下のいない課長=「窓際」になる。彼は怠けてあの席に来たのではない。上がり続けて、止まれる席で止まっただけだ。
「窓際族」という名の「広告塔」――1977年から続く日本型の返済儀式
「窓際おじさん」という言葉が新聞コラムに登場したのは1977年。オイルショック後、会社は人を減らしたかったが、「若い社員が安い給料で働いてくれるのは、将来の約束があるからだ」という建前を守る必要があった。約束を破れば帳簿ごと信用が消える。そこで「仕事だけを取り上げ、給料は払い、席は残す」という妥協案が編み出された。窓際の席は一見好条件に見えるが、西日が当たり、出入りは不便で、電話も回ってこない。「給料は払う。席は残す。仕事は渡さない」――これが日本企業が見つけた「後払いの返し方」だった。
内閣府の推計では、仕事のない社員は最大で465万人(雇用者の8.5%、約12人に1人)に上った(2011年時点)。男性に限らず、ある調査では「働かないおじさん」がいる会社の半分近くに「働かないおばさん」もいた。不景気になれば仕事が消え、増える。しかし切れば若手への「約束」が消える。だから抱える。抱えておけば景気が戻った日に探して育て直す手間もない。ただ「呼ばれない日」の方が圧倒的に多い。
彼が倉庫からダンボールを運んだ日――「予備」が機能する瞬間
物語の終盤、10年前の取引先からの問い合わせで当時の契約内容が誰にもわからない事態が発生する。担当者はもういない。書類は倉庫のどこかにある。その時、窓際の彼が新聞を置いて立ち上がる。倉庫からダンボールを一つ持ってきて綴りを開き、当時の担当者名も値引きの経緯も記憶していた。電話一本で1時間で片付く。彼は席に戻ってコーヒーを飲む。明日もまた新聞だろう。
会社が「仕事のない人」を抱えているのは、こういう日のためでもある。アリの巣の「予備」と同じだ。平時には何もしないから、いる意味が外からは見えない。働き手が倒れた日、あるいは想定外の事態が起きた日に初めてわかる。
「働かないおじさん」が必要なのは、会社ではなく「あなた」のためだ
では、なぜ会社は彼を切らないのか。彼のためというより、今、安い給料で働いている「あなた」を働かせるためでもある。もし会社が彼を途中で切ったら、若手はその日に理解する。「後払いの約束は都合が悪くなれば破られる」と。それなら安い給料で頑張る理由がない。手を抜くか、辞めて転職する。彼を切る会社はいずれあなたの分も返さない。あの席が亡くなった日に一番損をするのは、貸している途中のあなたなのだ。
窓際の席は、若い社員に向けた会社の「広告塔」だ。「この会社は後払いを返す会社だ」と毎日伝えている。それを見て若手は安く働き、一番売った人は階段を登る。帰りの電車で転職サイトを開けば、今より少し高い給料の求人が出ている。でもそこへ行けば、今の会社に貸した分は置いていくことになる。残って待てば帰ってくる。そのはずだった。ただ、その約束は少しずつ薄くなっている。
おわりに――見えない「予備」の価値をどう評価するか
アリの巣における「働かない個体」は、平時にはコストに見えるが、非常時にシステムを支えるバッファーだ。日本企業の「窓際席」もまた、生涯賃金の後払い契約を可視化し、若手の協調を維持するための「高コストな広告塔」として機能してきた。ピーターの法則が示す通り、優秀な現場社員が管理職で無力化する構造的必然の受け皿でもあった。
しかし、終身雇用の前提が揺らぐ今、この「高コストな予備」を維持し続ける合理性は問われている。約束が薄れれば、若手は「貸し付け」を止め、転職という選択を取るだろう。組織設計の観点からは、見えない予備の価値をどう可視化し、どう持続可能な形で再設計するかが、これからの経営の核心課題になりそうだ。
※本記事は進化生物学・労働経済学・組織論の知見を統合的に整理したものであり、個別の雇用判断やキャリア助言を意図するものではありません。専門的な判断が必要な場合は、それぞれの専門家にご相談ください。