年を重ねるにつれて、体の衰えや気力の低下を感じ、「昔はできたのに」と落ち込むことがあります。古代ローマのキケロが書いた『老年について』は、この問いに一つの答えを用意しています。老いへの不平不満は、年齢そのものよりも、その人のものの考え方から生まれることが多い——という見方です。ただし、これは二千年前の著作が示した一つの立場であり、すべての人に当てはまる結論ではありません。ここでは、その主張の中身と、現代の私たちがどう受け取れるかを整理します。
老いが悲観される四つの理由
『老年について』では、なぜ多くの人が老いを悲観的に語るのかが、まず四つの理由に整理されます。第一に活動性の低下、第二に体力の衰え、第三に快楽の欠如、第四に死が迫ってくることです。どれも、年を重ねれば避けにくい現実として挙げられています。
ただし、この四つはそのまま結論にはされません。一つずつ取り上げて、本当に老いだけが原因なのかを確かめていく構成になっています。悲観の理由を並べて終わるのではなく、その理由が成り立つかどうかを吟味する。この進め方そのものが、この著作の特徴です。
「不平不満の原因は年齢ではなく性格」という指摘
その吟味の入口で示されるのが、少し手厳しい指摘です。多くの人は長生きすることを願っているのに、いざ老いてみると老化した自分に失望し、文句を言う。しかし、その不平不満の原因は年齢によるものではなく、本人の性格の問題である、という見方です。
道理をわきまえている人は上手に年をとり、いつまでも穏やかに人生を楽しんでいる。反対に、どれほど富を持っていても、意地が悪くいつもイライラしている人は満たされることがない。そう述べられています。年齢そのものより、その人らしい構え方のほうが影響する、という主張です。
ここからは記事としての解釈ですが、この指摘は「加齢は不幸だ」という決めつけを外す試みだと読めます。老いを理由にしている不満のなかには、実は別の要因が混ざっているかもしれない、という問い直しです。
もっとも、「性格のせい」という言い方は強く響きます。体調や経済状況、介護、死別など、本人の努力では動かせない事情を過小評価しがちです。この点は、そのまま受け取るのではなく、批判も含めて読む必要があると感じます。
キケロ自身がたどった栄光と転落
この著作を書いたキケロは、紀元前106年、イタリアの小さな町で騎士階級の家に生まれました。貴族と平民の間に位置する階級です。教育熱心な父親はローマへ転居し、息子に哲学や弁論術、法律を学ばせました。
彼はストア派、エピクロス派、そして懐疑派の思想を学びます。とくに懐疑派の影響が強かったとされ、答えの出ない事柄を突き詰めるより、判断を保留して心の平穏を保つという考え方に触れています。
財務官を経て、キケロは43歳という若さで執政官に選ばれます。貴族出身でない者が就くのは難しい地位でした。弁論の力でカティリーナの陰謀を打ち砕き、「祖国の父」の称号を得たと伝えられています。
しかし、その絶頂は長く続きません。内乱が続くなかで人々は言葉の力よりも武力や権力を求めるようになり、カエサルの台頭によってキケロは政治の表舞台から退きます。失意のなかで彼が向かった先が哲学であり、数多くの著作を書き残すことになりました。『老年について』は、そうした晩年の作品です。
84歳のカトが、若者の悩みに答える
この著作は対話篇という形式をとります。スキピオとレリウスという二人の若者が、当時84歳だったカトに老後の悩みを打ち明け、助言を求める、という設定です。いずれも実在した人物で、読者が状況を想像しやすい作りになっています。
ここで押さえておきたいのは、カトが語る言葉はキケロ自身の考えを代弁しているという点です。老いについての助言は、著者自身の晩年の思索として読むことができます。
この視点をどう使うか
では、この考え方を日常でどう活かせるでしょうか。一つの方法は、「老いのせいでつらい」と感じたとき、その不満の正体を書き出してみることです。活動性、体力、楽しみ、死への不安のどれに近いのかを分けてみると、動かせるものと動かせないものの区別がつきやすくなります。
たとえば、仮の例として、「最近なにも楽しめない」という不満を書き出したとします。それが体力の低下から来ているのか、付き合いの減少から来ているのか、あるいは気分の落ち込みから来ているのかで、取れる対応は変わります。前者なら無理のない範囲で体を動かす工夫が考えられますが、理由がはっきりしないまま続く場合は、心構えの問題として片付けないほうが安全です。
この著作の考え方が合わない人もいます。病気の治療中である、介護や経済的な不安が続いている、大切な人を亡くした喪失感のなかにいる——こうした状況では、ものの見方を変えるだけでは足りません。気分の落ち込みや強い不安が長く続くときは、性格や心構えの問題にせず、医療機関や専門の相談窓口を頼る選択肢があります。
キケロの主張は「老いを前向きに捉えよう」という励ましではありません。年齢のせいにする前に、その不満がどこから来ているのかを見る。そのうえで、まだ自分のできることは何かを探す。そういう順序を提案しているように読めます。
まとめ
老いへの悲観は、年齢だけが原因なのか。『老年について』は、四つの理由を吟味しながら、むしろ本人の構え方や考え方のほうが大きいと示します。同時に、それは自己責任を責める話ではなく、不満の中身を分解して見るための視点でもあります。
すべての人に当てはまる答えではありません。それでも、年を重ねるなかで感じるもやもやを、年齢という一言で片づけずに眺めてみる。そのための古いテキストとして、この著作は今も読む価値のある一冊です。