戸棚の奥に、いつ買ったかわからないさばの水煮缶が残っている。非常用のつもりで、開けるのは年に一度か二度。魚は焼いて食べるもの、缶詰は手を抜きたい日のもの。そう考えるのは自然な感覚だが、骨まで柔らかく煮えたさば水煮には、焼き魚の切り身では取りにくい栄養が含まれている。缶を開けたあとの骨と汁をどう扱うか、売り場でどれを選ぶか。その違いを知ると、缶詰は普段の食卓で頼れるおかずになる。
缶詰は生の魚より栄養が落ちるのか
さば水煮缶は、生のさばを缶に詰めて密封し、容器ごと加熱殺菌して作られる。この加熱で骨が箸で崩れるほど柔らかくなり、焼き魚では残しがちな骨まで食べられる。ここが栄養面での大きな違いだ。さば水煮缶100gあたりのカルシウムはおよそ260mg。生のさばはおよそ6mgで、缶の方が40倍以上多い。骨を支えるビタミンDも100gあたりおよそ11μg含まれ、食事摂取基準の目安量9μgを上回る。
年齢とともに骨量は減る。牛乳が苦手な人にとって、骨まで食べる魚はカルシウムの補給源になる。ビタミンDは日光でも作られるが、日照の短い冬や外出の機会が減った人ほど食事から取りたい。骨が弱ると転倒時に折れやすくなり、動く時間が減れば筋肉も落ちる。この流れを考えると、缶詰の骨を残すのはもったいない。
缶の汁は捨てるもの、ではない
缶を開けたら汁を流しに捨てる。若い頃からそう教わった人もいる。しかし、汁には身から溶け出した魚の油と旨味が入っている。EPAやDHAなどの脂質も、製品や調理によって汁に移ることがある。一缶の汁は大さじ3杯ほど。全部捨てれば、その分の旨味と栄養も一緒に流れる。汁は味噌汁や煮物のだし代わりに使える。ただし、缶の食塩相当量を確認し、味噌や醤油は控えめに調整する。生臭さが気になるなら生姜を一かけ加えると、汁がだしとして使いやすくなる。
魚の油を避ける必要はない
健康診断で中性脂肪が高めと言われ、油の多い魚を控えている人もいる。しかし、魚の油と肉の油は脂肪酸の種類が違う。EPAやDHAはn-3系と呼ばれる魚の油で、心臓や血管との関係が長く研究されてきた。国内で行われた試験では、コレステロールの薬にEPAを1日1.8g加えた約4.6年で、心臓の重い病気が相対的に19%少なかったという報告がある。これは薬としての量であり、缶詰の数字とそのまま同じにはならないが、魚の油がすべて体に悪いわけではない。さば水煮缶100gにはEPAが約930mg、DHAが約1300mg含まれる。青魚はこれらの油を食事から取る身近な方法だ。
味噌煮と水煮は中身が同じではない
味噌煮の方が食べやすいからと、いつも味噌煮缶を選ぶ人も多い。血糖値を気にし始めた中高年ほど、味噌煮と水煮の違いを知っておきたい。見るのは見た目ではなく栄養成分表示だ。味噌煮には調味料が加わる。100gあたりの炭水化物は水煮の0.2gに対し、味噌煮では6.6gある。一缶食べれば調味料も含めて炭水化物の量は増える。ご飯などほかの主食と合わせるなら、全体の量を考えて食べたい。毎日のおかずにするなら、表示を見て水煮を選ぶのが基本。味噌煮も量を決めれば楽しめる。
年を取ったら魚や肉は少しでいい、とは限らない
65歳以上のたんぱく質の推奨量は、男性で1日60g、女性で50gと、若い頃とほとんど変わらない。さば水煮缶100gにはたんぱく質が20.9g含まれ、半缶の90gでも1日の推奨量の約3分の1になる。たんぱく質が足りないと筋肉が落ち、歩く量が減り、食欲も落ちてさらに不足しやすくなる。噛む力が弱ってきても、骨まで柔らかいさば水煮なら食べやすい。量を食べられなくなったからと、魚や肉を極端に減らす必要はない。
血圧が高い人が缶詰を避ける必要はない
缶詰は塩辛いからと、血圧の薬を飲み始めてから一度も買っていないという人もいる。さば水煮缶100gの食塩相当量はおよそ0.9g。半缶のおよそ95gでも、味噌汁一杯より少ない。さばにはカリウムも含まれるが、血圧対策ではカリウムより先に商品の食塩相当量を見る。気になるなら「食塩不使用」と書かれた水煮を選ぶ。缶詰すべてが塩辛いわけではない。
実際の食べ方の基本
毎日一缶ずつ食べると決める必要はない。一度に一缶食べきると塩分もエネルギーも増えやすい。次の3つを目安にすると、無理なく取り入れられる。
食べる量は開けて一食分ずつ
一缶は190gほど。一度に食べるのは半缶を目安にする。開けた残りは缶のまま置かず、ふた付きの器などに移して冷蔵庫に入れ、できるだけ早く食べきる。一度の量を決めておけば、塩分やエネルギーの取り過ぎも調整しやすい。魚を焼くのが面倒な日の決まった一品にもなる。
汁は料理に使って味を調整する
鍋に水300mlと缶汁を入れ、身を崩して豆腐とネギを加える。だしは取らなくていい。味噌はいつもの半分から味を見る。缶の旨味と塩で、多くの場合はそれで足りる。温かい汁物にすれば、身も汁も使いやすい。一人分なら具材を切って煮るだけで手軽に作れる。
野菜と一緒に食べる
玉ねぎの薄切りを半個分、辛みが気になれば切って15分置いてからさばと和える。大根おろしを小鉢にたっぷり添えると、魚の油をさっぱり食べたいときに合う。おろしに醤油を垂らすならほんの数滴でよい。缶の塩がすでに味をつけている。トマトなら中1個を切り、さばと一緒に温める。トマトのリコピンは油と一緒に取ることで吸収されやすくなることが知られている。
売り場での選び方
さば缶は味も産地も種類が多い。迷わないために、次の3つを確認する。
水煮で食塩不使用のものを探す
裏の栄養成分表示で食塩相当量を見る。血圧を気にしている人は、同じ種類の商品を比べて塩分の少ないものを選びたい。食塩不使用の缶は身の味がぼやけると感じるかもしれない。そのときはレモンや大根おろしで味を引き締める。
原材料名が「さば」と「食塩」だけのものを選ぶ
調味液やでん粉などが続くものは味付け缶の場合がある。水煮と書いてあっても、原材料名を一度確認する。国産のさばかノルウェー産か、産地だけで栄養の良しあしを決める必要はない。価格や油の乗り、原材料表示を見て好みのものを選べばいい。
期限の近い缶から食べて買い足す
缶詰は長期保存できる食品だが、賞味期限は商品によって異なる。必ず缶に表示された期限を確認する。期限だけでなく保存状態も大切で、高温多湿を避け、表示された保存方法を守る。非常用に買った缶を期限の近いものから食べて、同じ数を買い足すローリングストックに回していく。戸棚の奥に眠らせるより、手前に並べて毎週回していくほうが、備えと食事が一つになる。
安全に使うための注意点
缶のまま火にかけたり、電子レンジに入れたりしない。缶を直接火にかけることは想定されておらず、火傷や破裂の危険がある。温めるなら中身を耐熱の器に移すか、表示された方法で温める。冷たいままでも食べられるので、夏はそのまま、冬は温めて、季節で食べ方を変えると飽きずに続く。膨らんだ缶、液が漏れた缶、深くへこんだ缶、異様な音や匂いがする缶は食べずに処分する。
水銀が心配で毎日食べてもいいかという質問もある。さばは厚生労働省が妊婦向けに摂取量の注意を示している魚介類には含まれていない。それでも同じ魚に偏らず、いろいろな魚を組み合わせたい。血液をサラサラにする薬を飲んでいる場合は、おかずとして魚を食べることと、高用量のサプリメントを分けて考える。問題になり得るのは主に高用量のオメガ3サプリメントで、服薬中ならサプリを足す前に主治医に相談する。
缶詰は手抜きではなかった。骨ごと、汁ごと、水煮を選ぶ。それだけで、焼き魚では取りにくい栄養が食卓に入ってくる。戸棚の奥の一缶を非常用のまま眠らせず、明日の味噌汁やおかずに使ってみる。開ける頻度を少し上げるだけで、缶詰の見え方が変わる。